沖縄の編集者が考え続けるリベラルの「違和感」 ボーダーインク・喜納えりかさん 藤井誠二の沖縄ひと物語(31)


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 沖縄を代表する出版社の一つ「ボーダーインク」でおよそ20年、県産本を編集し、発信を続けてきた。同社の本で沖縄のとりこになった人は多いはずで、私もその一人だ。沖縄の歴史、文化、伝統など幅広く扱い、あらゆる「沖縄」に徹底的にこだわってきた。

 会社の総力をあげて編集した『よくわかる御願(ウグヮン)ハンドブック―ヒヌカン・トートーメー12カ月』(2006年)は、2010年に刊行された改訂増補版も合わせるとトータルで11万部を超え、押しも押されもせぬ県産本ベストセラーだ。

幾多の沖縄本の編集に携わる喜納えりかさん。有限会社ボーダーインクの仕事場で=那覇市与儀(ジャン松元撮影)

 沖縄の暮らしを彩る年中行事に必要なヒヌカン(火の神)、御願(ウグヮン)について、準備の仕方やその意味を、例えば、[白紙(シルカビ)はどんな時に使用するのですか?][正月には、ヒヌカンの御願はやらなくてもいいのでしょうか?]など、日常の中での行事ごとをあらためて確認できる。

 「祈る」という文化や、沖縄独自の生活スタイルの意味やルールが継承されにくくなっている時代。喜納えりかさんはこれまで150冊以上の本を編集し、沖縄の秋の総合ブックイベント「ブックパーリーOKINAWA」の運営者も担っている。

違和感

 喜納さんは、琉球大学時代は故・大田昌秀知事の流れを組むゼミに属し、沖縄の戦後史を学び、1996年に行われた「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票」の実施にも積極的に関わってきた。「私はリベラルという自覚があるし、沖縄では革新の立場にいると思いますよ」と笑みを浮かべた。

 しかし、一方で、政治や社会運動に対して「違和感」をよどみのように身体の中に溜(た)め込んでもきた。その「違和感」を突き放すこともなく、やり過ごすこともなく、じっと観察して真摯(しんし)に考え続ける喜納さんの言葉を私は聞いた。

 「ずっと沖縄の政治や社会を見てきました。これは日本全体もそうだと思うけれど、沖縄の政治も男社会です。それはきっと革新と言われる人たちも、保守を自称する人たちも同じ体質だと思う」

 「私は沖縄の革新陣営しか経験していないけれども、政治や社会運動を指揮する立場の人たちのほとんどは朝令暮改だし、若い人の意見をほとんど尊重してくれなかった。私から見れば、お茶くみは女性の役割だと思っているような、男尊女卑的で女性に対して横柄な態度を取る人が多かった。支持者の前では立派に振る舞おうとするんですけれど、市民の方を見ていない気がする」

 あくまでも個人的な「違和感」だと喜納さんは前置きをするが、共感をする人もきっと多いかもしれないと私は思った。

加害者性意識

ボーダーインクのある通称・電柱通りでカメラマンを逆撮りする喜納えりかさん(ジャン松元撮影)

 少なくともリベラルや革新を名乗るなら、米軍基地や日米地位協定に反対するだけではなく、女性の権利や子どもの貧困、マイノリティーの権利などの問題にも敏感であってほしい―そうも喜納さんは語った。

 喜納さん自身もシングルマザーだが、沖縄のシングルマザーが背負わされている現実は深刻なことは周知の事実。ワンイシュー(単一争点)だけの応酬になると、その他の問題は後回しになったり、見落とされがちになったりする、とも指摘した。

 逆にワンイシューで闘わざるを得ない状況に追い込んでいるのは、「ヤマト」の政権だし、それを支える多数の日本国民なのだと私は痛感する。

 「沖縄独自の文化や伝統は大事にしていくべきだけれども、時代にマッチした人権意識は強く持ってほしい。それから、社会運動体は若い人とか、新入りの人たちに寛容じゃない傾向もあると思います。旧態依然とした考え方に凝り固まった人に、自由にものを言おうとするとする人が排除されてしまう状況もたくさん見てきました」

 「国家と素手で闘うにはそれぐらいの覚悟をして学べということなのかもしれないけど、ずっと長く活動をやっている人に“沖縄のことをわかってない”とか言われ、マウントポジションを取られると、特に県外からきた人が何も言えなくなっちゃう。だから、どうしても、関わる人が流動的になってしまいます」

 同時に、喜納さんの言い方を借りれば、「沖縄の民族的ファンダメンタル(原理的)な主張が一部で突出」していく。

 「琉球の言葉を使うのは自由なのだけど、それを政治的な文脈で使うと、排除されてしまう人たちも出てきてしまいます。若い世代が沖縄を表現する時に、単に言葉を使うだけでいいのか。もっと自分のリアルな沖縄を体現するやり方はないのでしょうか」

 「沖縄の歴史を知り、考えてもらうのはもちろん大事だと思いますが、言い方によっては贖罪(しょくざい)意識を押しつけるようなことにもなってしまいます。たとえば復帰後に生まれて移住してきた人が、沖縄に対して申し訳ないと言って、居づらそうにしているのを見聞きすると正直、私は辛いです」

 そして、喜納さんが話したことは、私にとっても書き手としてのスタンスを問われていると思った。

 「あくまで私個人の印象ですが、県外の革新系を支持するジャーナリストや研究者も沖縄に“ひれ伏す”ようになっている傾向も感じます。それも“ヤマト”の人間としての贖罪(しょくざい)意識や、加害者性意識と関係しているのだと思いますが、“ヤマトは沖縄を差別している”みたいな書き方が、確かにその通りなんだけど、どこかステレオタイプにキャッチフレーズ化しちゃっています。ヘイトやデマ、悪意に基づいた人たちの書いたりしたものは論外だけど」

リベラルの意地

 ヤマトから来て沖縄のことを書いているということは、沖縄を蹂躙(じゅうりん)したヤマトの一人としての責任を自分も背負わなきゃいけないというふうに(藤井さんも)考えているんじゃないですか―。そう喜納さんは私を見て、ちょっとだけほほ笑んだ。

 「それが行き過ぎると、沖縄がアンタッチャブルなものになってしまう。人間同士で対等になれないですよね。沖縄に対しても、沖縄の中にもいろんな感情があっていいはずなのに、沖縄に単一的なイメージを持たせてしまう。複雑なものは複雑なまま抱え考え続け、そのなかで自分のリアルを模索しながら生きるというのも大事だと思う。それが私のリベラルとしての意地です」

 本を編集するとき、多面的でリアルな沖縄というものを意識しています、と喜納さんは繰り返した。翻って、メディアの末席を与えられている私にできることは何だろう。喜納さんの言葉を何度も反芻(はんすう)する。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

きな・えりか

 1975年、具志川市(現うるま市)生まれ。琉球大学卒業後、2002年からボーダーインク編集者として、これまで150冊余りの本を手がける。最近編集した本は『南城市見聞記』『写真集 闘牛女子。』シリーズなど。戦後沖縄の本屋についての調査など、本と本屋にまつわる活動をコツコツ展開中。沖縄のブックイベント「ブックパーリーOKINAWA」実行委員を務める。趣味はマンガを読むこと、ラップ、バンド活動。

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。