<書評>『比嘉加津夫追悼集 走る馬』全身的に生き抜いた足跡


社会
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『比嘉加津夫追悼集 走る馬』比嘉加津夫追悼集発行委員会著 琉球プロジェクト・1980円

 追悼文を寄せた顔ぶれを見ると、多くの知識・文化人のそうそうたる顔が追悼の辞を寄せていて壮観である。味わい深い追悼文を読むと、比嘉氏の人柄や関心事がうかがえて心が熱くなる。ただ、若い層や俳句・短歌等短詩型関係の顔は以外と少ない。とは言え、私などには知らない人の方が多い。それだけ多彩な方々と親交があり、多面的な活動をこなし、全身的に生き抜いたのだということがうかがえる。

 彼が生涯のライフワークとしたのは、やはり、作家としての島尾敏雄であり、わけても、「死の刺」論であろう。筆者も、比嘉氏の『Myaku』連載の頃の島尾敏雄論を、新聞の文芸時評で取り上げ、「島尾について書いた優れた論考」として論評したことがある。何しろ比嘉氏は、この論考で「『死の刺』を(夏目漱石をも越える)日本文学の最高傑作」として称揚している。

 夫の浮気相手の「女」が突然訪ねて来る場面がある。「これを『女』の復讐(ふくしゅう)と受け止めた妻は逆上し襲撃する。(略)/妻はさらに夫にも『女』を殴ることを命じ、夫婦で無抵抗の『女』を暴行する修羅場が展開される。『死の刺』のクライマックスの場面である」が、この場面を比嘉氏は、「『女』は作品で書かれるような復縁を迫って脅迫する性悪女ではなく、優しく思いやりのある女であり、ここで主人公の『トシオ』とその妻『ミホ』は『女』によって裁かれているのだ」と捉えていた(拙著『南溟の文学と思想』所収)。筆者が最も衝撃的に感銘を受けた箇所であった。

 この「追悼集」で、質量ともに最も読み応えがあると思えたのは、新城兵一氏の「『比嘉加津夫の初期』論 詩集『記憶の淵』を中心にして」であった。新城はここで、詩編の中に頻出する〈少女〉像の意味について、「青春のオブセッション」をキーワードに執拗(しつよう)に問い、定位せんとする。ただ、終盤で、詩の言葉を事実に還元して読み込んでいるが、新城氏らしくない。

 いずれにしても多くの人に死を惜しまれ、新城氏のような深い読み手を持つことができた比嘉加津夫氏は、幸せ者である。

 (平敷武蕉・文芸評論家)


 追悼集発行委員会 仲本瑩、安里昌夫、西銘郁和、比嘉正純氏ら11人のメンバーで発行委員会を立ち上げ、ゆかりの人たち60人余りから追悼文を集めた。比嘉氏の作品や生い立ち、創作活動なども細かくまとめた。

 


比嘉加津夫追悼集発行委員会
A5判 326頁

¥1,980(税込)