「沖縄のため」思い今も ドルから円切り替えの通貨確認から50年 当時琉銀で後方支援した仲吉氏(沖縄ICカード社長)


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琉球銀行本店を山中貞則総務庁長官が視察に訪れる中、通貨確認作業に当たる仲吉良次氏(後列左端)=1971年10月9日、那覇市久茂地

 沖縄の日本復帰に伴うドルから円への通貨切り替えを前に、沖縄の住民らの預金や現金を対象に実施した1971年10月9日の「通貨確認」から、9日で50年を迎えた。「ニクソン・ショック」で揺らいだ1ドル=360円の交換レートを保証するため、琉球政府は住民が保有する現金の量を確認する通貨確認の実施を突如発表し、金融機関にはドル札を手にした人々で長蛇の列ができた。交通系ICカード「OKICA(オキカ)」を発行する沖縄ICカード社長の仲吉良次氏(80)は当時、琉球銀行の行員として確認作業に当たっていた。仲吉氏に半世紀前の回顧と電子マネー・オキカの展望を聞いた。
 

 なかよし・りょうじ 1941年生まれ、那覇市出身。琉球銀行常務、リウコム社長、沖縄食糧社長、沖縄都市モノレール社長などを歴任。2013年に沖縄ICカードの初代社長に就任。一度退任後、17年に復帰した。

 ―通貨確認を振り返って。
 「当時は琉銀本店営業部貸付課に勤務していた。通貨確認では、後方支援として持ち込まれた紙幣を機械に通して再確認していた。普段はしていない業務だから大変で、日頃窓口を担当する女性行員が大活躍だった。視察に訪れていた山中貞則総務庁長官が私の近くに立つ写真が残っているのだが、その記憶がない。それだけ一生懸命だったのかもしれない」
 「県民の資産を守るため、当時の関係者が隠密行動に徹した賢明な働きに敬意を表したい。一方で、当時の日本銀行は沖縄にどれだけドル資産があるかを把握していなかったと思う。復帰時の通貨交換に向けて、通貨確認が必要だと考えた政府関係者がいたのではないかと、裏読みしたくなった」

 ―銀行マンとして自身の心境に変化は。
 「直接影響はないが、私が米国に留学していた67年に佐藤・ニクソン会談があり、沖縄の復帰が決まった。琉銀から転籍することも考えていたが、日本に復帰するとなれば自分にやれることがあるはずだと思い、この銀行で生きていこうと決めた。先輩方は皆優秀で、『沖縄のためになっているかを考えなさい』と教えられてきた。銀行だけでなく、さまざまな業種で経営に携わってきたが、今でもこの教えを経営判断の根拠にしている」

 

行員の指示に従って提示表に氏名などを書き込む住民ら=1971年10月9日

 ―キャッシュレス化など、半世紀の間に通貨の形態や概念に変化も出ている。オキカは交通機関以外に、商業店でも利用が可能となった。沖縄だけで流通する地域通貨的なサービスとして、地域の資産を守ることにもつながりそうだ。
 「45万人がオキカを利用しているのは大きなメリットだ。オキカを利用することで決済手数料を域外に流出させず、県内で資金を環流することができる。流通することで地域の活性化につながり、ウチナーンチュが助け合う手段になるのではないかと思っている」
 「現在、南城市と連携してコミュニティーバスや観光施設などでオキカの普及を進めている。この取り組みをモデルにして、都市部以外でもオキカの普及を広げていく。成長著しい沖縄でオキカを使って県民の利便性を高め、地域再生・地域活性化を推進したい」

 (小波津智也)