認識番号を話して命拾い 中村吉子さんの体験 母の戦争(13)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬
現在の糸満市真栄平の集落

 炊事班の一員として日本軍と行動していた中村吉子さんは現在の糸満市真栄平付近の壕を出た後、一人で行動します。息子の陽一さん(67)=西原町=は母の行動を記します。

 《部隊と離れて、1人になって見知らぬ避難民の列に並んで歩いていると、おかーのすぐ前を歩いていた軍人風の男の頭に弾が命中して目の前で倒れた。その時、とっさに後ろに飛びのいて伏せたので、自分は撃たれなかった。》

 日本兵に壕への避難を拒まれたこともありました。

 《アメリカ軍の艦砲射撃が始まり、命からがら壕を探して逃げ込もうとしたら鼻先に銃剣を突き付けられ、「ここは民間人が入れるところではない。今すぐ立ち去れ。言うことを聞かないと撃ち殺す」と脅された。

 おかーは球部隊(第32軍)に徴用され、壕掘り作業をさせられた際に受けた軍属教育を思い出し、「自分は『球』の認識番号を持っている軍属だ。戦が来る前、壕掘りや弾薬運びをさんざんさせといて、こんな艦砲が落ちる外に出て行けというのか」と食い下がった。

 認識番号を聞いた門番の兵隊が「よし入れ、艦砲が終わったらさっさと出て行け」と命令し、避難を認めたから助かった。あの時、言い返さなかったら友軍に撃ち殺されたか、艦砲の餌食となった。》

 戦場で命を落としていたら、陽一さんは生まれていません。吉子さんはこの体験を子どもたちに幾度も語ったといいます。