小隊長の遺骨探せず 中村吉子さんの体験 母の戦争(16)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子
現在の南城市玉城前川の集落

 米軍に捕らわれ、久志村(現名護市)嘉陽の収容地区にいた中村吉子さんはマラリアから回復した後、玉城村(現南城市玉城)の前川に戻ります。息子の陽一さん(67)=西原町=の記録は、戦後の吉子さんや前川集落のことにも触れています。
 《前川に帰還して、アメリカの軍作業に動員されるようになった。作業内容はほったらかされても実った稲の収穫だ。収穫した米は後で住民の配給になるらしい。》
 「玉城村史」によると、前川が米軍から解放されたのは1945年末で、その後、集落の復興が進んでいきます。沖縄戦で亡くなった前川の住民は397人。そのうち212人が南部で犠牲になっています。
 沖縄の施政権返還のころの出来事です。負傷し、糸満市真栄平付近の壕に置き去りにしてしまった球部隊の小隊長の遺族が吉子さんを訪ねてきました。遺骨を拾うためでした。
 《おかーが軍属として最後まで一緒に行動して、置き去りにせざるを得なかった小隊長のいた壕に案内するつもりで現場まで行きました。ところが、草木が生い茂り、地形も変わっていて、壕を探すことができなかった。しかたなく、周囲の小石を拾って帰って行ったそうです。》
 遺族は小隊長の妻でした。壕を去る時、「一緒に連れて行ってくれ」と叫んだ小隊長は妻子を思い、声を振り絞ったのかもしれません。