「針の穴をくぐって生還」 中村吉子さんの体験 母の戦争(17)<読者と刻む沖縄戦>


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中村吉子さん(右)と母カマさん=1970年ごろ(中村陽一さん提供)

 中村吉子さんは軍属でありながら部隊を離れ、戦場をさまよいました。戦後、息子の陽一さん(67)に「今思えば、あの時部隊と離れたから生き延びることができた」と語っています。部隊から離れることで冷静な判断と行動ができたのでしょう。

 《戦も最終盤になったころ、前川の青年団の同級生に会った。聞けば自分たちは中頭に強行突破すると言っている。いくら足に自信があっても、女が男たちについていけないと思い、諦めてその場で別れた。

 そのうち誰かと会えると思っていたが、とうとう戦が終わって石川収容所に収容されるまで誰とも会えなかった。》

 戦後、吉子さんは「田起こしの鋤(すき)を引く牛の後を付いて歩くと、泥まみれになるのは当たり前だ」と近所のおじいさんに言われたそうです。兵隊を牛に例え、「前川にとどまっていれば何事もなかったのに、兵隊について行くから大変な目に遭うのだ」という教訓を伝えたのです。

 《確かにそうだ。しかし、あの時は皆、友軍が住民を守ってくれると信じていたのだ。おじいさんは日露戦争帰りの元兵隊で、戦局をよく見極めていたようだった。》

 吉子さんが亡くなって8年になります。戦場で幾度も死に直面した吉子さんは「どぅなーや、針ぬみーふきてぃちょーぬちゅ」(自分は針の穴をくぐって生還した)が口癖でした。子どもたちに語った沖縄体験は多くのことを教えてくれます。

 (中村吉子さんの体験記は今回で終わります。)