宮川大輔・花子に弟子入り、バイトを3つ掛け持ち…宮川たま子がお笑いを諦めず進んだ20年


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
芸歴20周年を迎え単独ライブを開くお笑い芸人の宮川たま子=13日、東京都中央区の琉球新報東京支社

 【東京】浦添市出身で吉本興業所属のお笑い芸人、宮川たま子が芸歴20周年を迎えた。「笑いで人を元気にしたい」とお笑いの道に進んだ。芸人活動のほか、映画出演や沖縄国際映画祭のPR大使を務めるなどマルチに活躍する。20年を「チャンスをつかむことばかり考えてきた」と振り返る。11月13日には都内で集大成となる単独ライブを開く。

 お笑い芸人になろうと思ったのは小学5年生の頃。「友達が笑うのも笑わせるのも好きだった」と話す。芸人を目指し高校時代に大阪の「心斎橋筋2丁目劇場」に下見に行ったものの、ホームシックで芸人になるのをいったんは断念。名桜大学に進学した。

 だが芸人への夢が捨てられず、退学しバイトでためたお金で2001年、吉本興業の養成所「NSC」に入った。「大学で1人暮らしをしてホームシックには慣れたけど、芸人の夢を諦めることには慣れなかった」と語る。

 NSC卒業後、待っていたのは厳しい現実だった。「なんばグランド花月」で新喜劇の裏方の仕事に就いた。「どうすれば、成功するのかが分からなかった」。そんなときに夫婦漫才コンビの宮川大輔・花子に声を掛けられ弟子に。約1年半、住み込みで働き、「学校へ行こう!」「クイズ!紳助くん」などテレビ出演を重ねた。芸名の「宮川」は師匠から付けた。

 2009年、師匠の大助に活動の場を広げたいと東京進出を申し出たが、1年間の謹慎を言い渡された。沖縄に戻った宮川が就いた仕事はバスガイド。「沖縄の歴史や文化を深く知ることができた」と話す。1年後、大助が沖縄に迎えに来た。

 上京後もバイト三つを掛け持ちするなど、厳しかった。転機が訪れたのは当時、社長だった大﨑洋会長との出会いだった。12年の第4回沖縄国際映画祭からPR大使に就任し、県内41市町村を巡り、映画祭をアピールした。

 「お笑い芸人をきちんとやりたい」。今年から吉本興業の俳優部からお笑い部門に異動し、芸人活動に本腰を入れ直す。当面の目標は11月の単独ライブを成功させることだ。ライブに同じ沖縄出身の具志堅用高さんやガレッジセールのゴリが花を添える。「沖縄には『喜劇の女王』と呼ばれる仲田幸子さんら個性的で笑いを作る女優さんがいる。私も、自分らしい独自のお笑いを追求してきたい」とあらためて決意していた。

  (問山栄恵)


 宮川たま子の芸歴20周年記念ライブ「お世話になった方々と作るライブ ぶったま子」は11月13日午後1時から、東京都渋谷区のヨシモト∞ホールで。オンラインでの有料配信もある。チケットの問い合わせは(電話)0570(550)100。