<書評>『万籟』 「見たこともない欠片」を求めて


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
『万籟』 網谷厚子著 思潮社・2640円

 地質学の区分に例えて現代は「人新世」だと言う。地球の隅々まで人類の痕跡が残された時代。むろん否定的な呼び名だ。それは網谷氏の次のフレーズでも言い表されている。

 「人では生き通すことができない場所」(「万籟」)

 地球は既にそのような場所と化している。それでも尚、その場所で存在を証明し、命をいとおしみ、喜びをかみしめ、生きていたい。その想いにこの詩集全編は貫かれている。

 「風はいつも 遠いところから やってくる 水底に沈んだ たくさんの魂 生き物の骸にも 辿り着く場所がある」(「あらみたま」)

 網谷氏の詩には「風のリズム」とでも呼びたくなる文体の流れと疾走感があり、それらに促され身をさらし淀(よど)みなく読み進むことができる。また詩集全体に満ちているものは言葉の厚みと歴史性であり、現代詩でありながら古典性を帯びている。これは網谷氏の才能とともに氏が専門とし探求する古典文学が身体深く凝縮し現代性によって抽出された努力のたまものであると思われる。

 氏は富山県に生まれ教員として沖縄辺野古や小笠原父島など各地を転任、現在は茨城県在住。さまざまな土地と地域を横断することでくみ取った、その地の風土と歴史の深さによって感性と詩想を研ぎ澄まし、多視点をもつ全方位型の思考を己が身体深くに熟成させている。その成果が「沖縄三部作」に昇華されたがさらに本詩集はその地点を越え、全方位思考の完成形へと飛躍している。

 本作では古代から現代、辺境からシルクロード、あらゆる時空が召喚され、やがて具体性と歴史性は自然界や森羅万象へと響き渡り存在の普遍に至る。

 「君の手のひらに 降りてきたもの 君の見たこともない欠片を すばやくすくい取り 編み上げていく 言葉 万籟の響きに 耳を洗われながら 君の朝が 疼き出す」(「群青」)

 私たちもまた網谷氏とともに「見たこともない欠片」を求めて言葉の森の深淵(しんえん)に踏み出す。

 (下地ヒロユキ・宮古島文学)


 あみたに・あつこ 1954年富山県生まれ、「万河・Banga」主宰。日本詩人クラブ、日本ペンクラブ等会員。詩集に「時という枠の外側に」「瑠璃行」「日本詩の古代から現代へ」など多数。