<書評>『時を漂う感染症』 背に腹代えられぬ「国際協調」


社会
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『時を漂う感染症』新垣修著 慶應義塾大学出版会・2970円

 本書は、国連難民高等弁務官事務所等で国際法専門家として実務に携わった後、国際法・国際政治分野の研究者・教育者として活躍する著者が、その学問的背景を生かした知見から、感染症に人類社会が取り組んできた歴史を描いた専門書である。

 長らく人類を苦しめてきたコレラ・ペスト等の疾病が、19世紀に感染症として認識され、1851年に第1回国際衛生会議が開かれた。それから今年のCOVIDー19まん延までの170年間の国際法、国際機関の変遷を丹念に追った通史が、本書の中心を占める。評者は、この国際衛生会議が何かも知らなかった、国際法や感染症問題の全くの素人であるが、そのような読者であっても、この通史には興味を引かれ、専門性の高い難しい内容のはずなのに、速やかに読み進めることができた。それは、感染症への対応という軸から、これまで知らなかった世界史の局面が見えたためである。

 この170年間には、帝国主義の時代、二つの世界大戦、冷戦、冷戦後という時代画期があった。国家間の競争と闘いの世界である。しかし、感染症対応では、国々は、背に腹を代えられず、時代時代に国際協調を図らざるをえなかった。こうした協調は、人類を病苦から救う、というような利他的な人道主義に動機づけられたのではなく、利己的な利潤動機や国家主権維持・拡張が主要因であった。そうではあっても、人と物が地球規模で動く時代に、人類は、それとともに広がるさまざまな感染症に、やむを得ず協力して立ち向かわねばならなかった。

 本書が最後に取り上げるのが、医薬品やワクチンの供給や特許権という、生々しい「グローバルイシュー」であり、ここで、通史の扱う事例が、まさに「いま」の問題に収斂(しゅうれん)することが明瞭に理解できる。たとえ利己的な動機によるものであっても、人類は協調して感染症対策に取り組む国際的仕組を、曲がりなりにも生み出し、動かしてきた。地球温暖化をはじめとする地球規模の危機に向き合う上で、本書が描く感染症と国際法の歴史から学ぶべき教訓は多い。

 (佐藤学・沖縄国際大教授)


 あらかき・おさむ 1964年沖縄県生まれ。国連難民高等弁務官事務所法務官補、広島市大教授などを経て、現国際基督教大教養学部教授。主著に「無国籍条約と日本の国内法」「『難民』をどう捉えるか」