さまざまなきっかけから里親制度を知り、里子を迎え入れた里親たち。子どもたちと関わる中で「家族」とは何かを見つめてきた。共に過ごした経験はかけがえのないものだと感じている。
本島南部在住の松田信次さん(67)と恵さん(67)夫妻には、自宅で大事に保管しているものがある。「いつもありがとう」「大好き」―。50代で里親登録し、里子として迎え入れた子どもたち3人からの作文や手紙だ。夫婦で協力し合い、成長を見守ってきた。「他人だけれど、家族になれると学んだ。何にも代えられない幸せをもらった」と子どもたちの存在の大きさを感じている。
毎日読む新聞がきっかけだった。関西に住んでいた当時、信次さんが紙面をめくると、笑顔でこちらを見つめる幼い子どもの写真が目に入った。子どもの下の名前や普段の様子が紹介され、育てる人を募集していた。
「事情があって親が育てられない子どもたちもいるんだな、と気に掛けるようになった」。自分たちにできることがあるなら、と夫婦で子どもを預かることを少しずつ話し合った。一方、信次さんの仕事柄、当時は転勤や異動も多かった。紙面で見た子どもたちの存在が気になりながらも、里親登録までには至らなかった。
そんな中、追突事故に遭い、信次さんが大けがを負った。歩行も困難で、寝たきりに近い状態も続いた。医師から暖かい地域で過ごすことを勧められ、過去に転勤で約8年過ごしていた沖縄を思い出した。沖縄出身の恵さんとも相談し、移住を決意。2004年に越してきた。
移住後、県内で仕事をしながらリハビリを重ねた。転勤することがなくなり、時間的余裕が生まれた頃。「困っている子どもたちの手伝いができないか」。再び夫婦で話し合い、里親制度に関する説明や研修を受け、06年に里親登録をした。
夫婦2人にとって初めての子どもを迎え入れたのは08年9月。当時4歳の亮さんだった。児童養護施設で数年過ごしていた亮さんとは、事前のマッチングで何度か顔を合わせていた。だが、家庭に来たばかりの頃は表情や言葉使い、行動から人をうまく信用できない様子が感じ取れた。
乱暴な言葉が飛んできた時もあった。恵さんは心を鬼にして、亮さんを厳しく叱った。真正面から向き合い、子どもが安心して過ごせる関係を築きたいと強く感じていた。
自宅の玄関に2人で座り、恵さんは語りかけた。「私たち、きっと縁があって一緒になってるんだよ。これから、家族になっていこうね」。目に涙をためて「うん」とうなずいた亮さんを優しく抱きしめた。 (文中仮名)
(吉田早希)