<書評>『豪州へ渡ったウチナーンチュ』 移民たちの足跡浮き彫りに


社会
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『豪州へ渡ったウチナーンチュ』ジョン・ラム著 飯島浩樹訳 沖縄教販・2420円

 本書は戦前から戦後にかけオーストラリア(以下豪州)に渡ったウチナーンチュの足跡について、その全体像の解明を試みたものである。著者のジョン・ラム氏は豪州人で、建築や教育に関する学士号を持ち、日本で5年ほど働いた後、豪州に渡った日本人に興味を抱き、いくつかの歴史書をまとめている。

 かつて豪州では白人入植者たちの働きかけで、1901年に連邦政府が非ヨーロッパ系移民を排除する移民制限法を長年にわたって敷き、アジア系移民を排除してきた。言うところの「白豪主義」である。そうした中、10年代から60年代にかけて沖縄から渡ってきた人たちがいた。多くは真珠貝採取の漁業に携わっているが、著者は「白豪主義の枠組みでこの業界に設けられた特別の免除を受けて海をわたった」とし、「それが選ばれた理由について大部分は秘密にされ、湾曲されていた」と書いている。つまり米国統治下で発行された身分証明書が、非日本人の「琉球住民」であったことが「特別な免除」の理由にされていたのだ。

 第1章の「ウチナーンチュ」に始まり「初期の移民」「戦後の居留地と収容」「戦後・帰還の始まり」とウチナーンチュたちの歴史を追い、後半では豪州北部の真珠貝採集の拠点であった「ダーウィン」「ブルーム」「木曜島」の3地域で足跡を追っている。特に木曜島は有名で、162人が居住し、ウチナーンチュの地域コミュニティーが形成されていたという。しかしダイバーたちの中には潜水病で命を落とした者もいた。

 また、第2次大戦中は、太平洋地域の連合軍の捕虜となった日本人移民の強制収容所が置かれ、ニューカレドニアに鉱山労働で出稼ぎに来ていたウチナーンチュ約230人が4年間も収容されていた。ダイバーたちも収容所の捕虜たちも、戦後すべて沖縄に引き揚げる。本書はそうした消えたウチナーンチュの足跡を、発掘した豊富な資料と写真であぶりだしている。

 (三木健・ジャーナリスト・沖縄ニューカレドニア友好協会顧問)


 じょん・らむ 1949年オーストラリア・メルボルン生まれ。母国で働く傍ら日本でも建築家、英語教師などを務めた。引退後、豪州での日本人の歴史に関する数多くの論文を発表している。

 いいじま・ひろき 山梨県生まれ。1993年、日本の民放テレビ局でニュース番組のディレクターなどを経て渡豪。現在TBSシドニー通信員。著書に小説「奇跡の島~木曜島物語」。