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ゴルゴ、コナンの原作や小説…作品通じ沖縄を問う 文筆家・平良隆久さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>


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作品に込めた沖縄への思いを語る平良隆久さん=4日、東京都内

 ゴルゴ13や名探偵コナンの学年誌・学習漫画のシナリオや原作、小説を手掛ける那覇市出身の文筆家、平良隆久(59)=千葉県在住=は沖縄で米統治下による恩恵を享受する家庭に生まれ育った。米国文化に憧れた少年時代を過ごしたが、沖縄の日本復帰に合わせて心には反発も同居するようになる。「頭の片隅には常に沖縄がある」。事実に裏打ちされた緻密な背景に、人間の複雑な感情が絡み合う作品を通じて、沖縄の在るべき姿を問い続ける。

 「フェンスの中は何もかも違っていた」。平良の父は米紙モーニングスターで働き、営業部長を務めるほど重要ポストを任されていた。父は外車に乗り、週末には士官が集まるレストランで食事をするなど、沖縄の一般住民と比べると裕福な暮らしだった。

 自宅があったのは那覇市安里で、家の裏手は米軍のハウジングエリアで丘の上だった。後に那覇新都心となる「牧港住宅地区」だ。両親は基地内で暮らす友人がいたので家に遊びに行くことがあったが、そこで目にした米国の豊かさに圧倒された。

 青々とした芝生は手入れが行き届き、車庫には大きな車があった。家の中に入ると、大きな冷蔵庫があって、巨大なコーラのボトルや分厚いステーキ肉が何枚も入っていた。

 平良が「一番驚いた」のはビー玉だった。当時、沖縄の子どもたちの間でビー玉遊びは定番だったが、マチヤグヮーで買えたビー玉の色はくすんでいた。それと違い、米国製のビー玉は原色で色が鮮やかだった。手に入れた沖縄の子どもたちにとっては貴重だったため、親分を意味する「ドングヮー」と呼ばれ大切にされた。

 米軍関係者の子どもはそんなドングヮーを机の引き出しいっぱいに持っていた。そして「いくらでももらっていいよ」とさらりと言われた。沖縄の子どもたちにとって貴重な米国製ビー玉を、米国の子どもは簡単に手放した。平良は「圧倒的な豊かさを見せつけられた衝撃の瞬間だった」と振り返る。

 復帰前、食べ物も映画も玩具も何もかもが米国製であふれていた。そんな平良は自分自身のアイデンティティーについて「日本人」だと意識したことはなかった。だが、復帰を前にしてその状況は一変した。「日本人」を意識するようになり、唯一輝いていた漫画に引かれていった。

(文中敬称略)
(仲村良太)


 1972年に沖縄が日本に復帰してから来年で半世紀。世替わりを沖縄とともに生きた著名人に迫る企画の13回目は文筆家の平良隆久さん。作品を通して沖縄の在るべき姿を問い続ける平良さんの半生を追った。

 

(その2)ゴルゴ「沖縄蜂起」 未遂にした理由に続く