prime

フェンス越しに見た豊かさと暴力…「沖縄独立」未遂にした理由は 文筆家・平良隆久さん(2)<復帰半世紀 私と沖縄>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
復帰前の沖縄やシナリオを書き始めたきっかけについて語る平良隆久さん=4日、東京都内

(その1)「ゴルゴ、コナン…作品通し沖縄を問う」から続く

 「お前は負けている日本側の人間だ」。泊小に通っていたある日、平良隆久(59)=那覇市出身=が米国の戦争映画を見ていると、不意に父親からそんな言葉を投げ掛けられた。沖縄の日本復帰を目前にした1971年。米国製の映画やドラマを見れば主人公の米国人を応援するのが普通だったが、父の言葉にがくぜんとした。その時「米国万歳の無邪気な時代が終わった」と振り返る。

 意識し始めると基地のフェンスの存在が邪魔だと感じた。それまでは弟や友人たちと一緒にフェンスを乗り越えて米軍住宅地に入り、球場で野球をしてはMPに追い掛けられた。一方、平良の父が務めていたモーニングスターは復帰とともに廃刊。一家の生活も一気に苦しくなった。そのころには米軍関係者の子どもたちとよくけんかをするようになった。

 

自宅前で弟と遊ぶ5~6歳頃の平良隆久さん(右)=那覇市安里(平良さん提供)

 彼らはフェンスに開けられた穴から民間地に出てくると、暴れ回った。沖縄の子どもたちより大きな体でラジカセを担ぎ、空気銃を撃ってきたり、火炎瓶を投げてきたりして道路が燃えることもあった。沖縄の警察が出動するまでの事態になっても、彼らはフェンスの中に逃げ込みうやむやにされた。沖縄の土地でやりたい放題し、何不自由なく、豊かな生活を送る「支配階級」の子どもたち。「理屈じゃなく、無性に腹立たしかった」とまゆをひそめる。

抱いた夢

 けんか相手と共に、憧れの文化も全て金網の向こう側からやってきた。ローラースケートにバットマン、ローリングストーンズ。日本の文化はかなわなかった。だが、漫画とアニメは別格で、平良ものめり込んだ。甲賀流少年忍者の活躍と成長を描いた「サスケ」では戦国時代に生きた子どもの厳しい現実を、ボクシング漫画の金字塔「あしたのジョー」では減量の壮絶さを、無免許の天才外科医を描いた「ブラック・ジャック」では医師として在るべき姿や患者のひた向きな生き方を学んだ。

 小学4年の頃には将来は「中学を卒業したら漫画家になる」と宣言した。母は大騒ぎして家族会議が開かれることになり、父や兄弟からも猛反対され、漫画雑誌は全て捨てられた。それでも平良は隠れて読みあさるようになり、漫画に一層ひかれていった。

 真和志中に進んだ頃、日本国内ではバンドブームが巻き起こっていた。平良もビートルズに魅了され、ギターを弾くようになった。「世界に出て大もうけしたい」と思うようになった。

 首里高へ進むと映画にはまった。映画館で働いていた母親の影響もあり、平良は物心ついた頃から映画をたくさん見ていた。映画「ロッキー」に夢中になり、映画監督を夢見た。

 だが、何でも「分析」してしまう癖があだとなり、ハリウッド映画の人気の背景を探ると「自分にはできない」「日本人が作りたくても作れない」と諦めてしまいそうになった。その中で、黒澤明の存在は希望だった。世界的な映画の巨匠さえも一目置く黒澤作品をむさぼるように見まくり、高校を卒業すると映画監督を目指して上京した。

 

厳しいプロの世界

小学館のパーティーでさいとう・たかをさん(左)の傍らで笑顔を見せる平良隆久さん=2011年ごろ、東京・内幸町の帝国ホテル(平良さん提供)

 東京に行くと首里高時代の友人と寂れたアパートで共同生活をした。映画監督を目指しながらも、きっかけがつかめずにやきもきしていた22歳の時、たまたま手に取ったアルバイト求人誌に「将来、映画関係にも役立つ仕事に就いてみませんか」との募集を見つけた。「チャンスだ」。すぐに飛びつき応募した。

 そのバイトは週刊少年ジャンプで連載していた人気漫画「北斗の拳」を手がける原哲夫が原作家を育てる「書生」の募集だった。採用試験もシナリオ。多くの応募者の中から、大学で映画を学ぶなどした2人と平良が選ばれた。漫画の世界に足を踏み入れた瞬間だった。

 「自分は世界に行く天才で簡単なことだと思っていた」。当初は順調で毎週原稿用紙50ページ分のシナリオを書き、原からも「面白い」と好評だった。だが、数カ月でネタが尽きた。「スランプなんですよ」と吐露したが、原からは「天才はスランプにならない」と言われ、天才ではないと思い知った。当時の状況を「3日くらい乾かした雑巾をさらに絞る感じだった」と振り返る。

 原に面白いシナリオの描き方を教えてもらおうと懇願したが「自分で探すものだ」と言われた。厳しいプロの世界で生き残るための当たり前の言葉だった。働く中で、原作家に求められるのは圧倒的な知識量だと認識していたため、それからは本の虫になった。

 漫画の資料探しの傍ら、神保町の古本屋や都内の図書館を毎日歩き回り、漫画に関係のないような「心理学」「化学」「宇宙科学」「生物学」なども手に取り、年に200から300冊を読破。シナリオを書くヒントを探した。

 勤めたのは約1年半と短かったが、濃密な期間で、多くを学んだ。子どもの頃に憧れた漫画の魅力にどっぷりはまった。それからは出版社に作品を持ち込んだり、ゴーストライターをしたりして、必死に作品を書き続けた。

 どうしたら面白い物語を書けるのか。答えはなかなか見つからなかった。ただ、音楽にはまった経験から、ヒット曲には、コード進行の中で安定、不安定を通り、元に戻って繰り返すことのできる「循環コード」があることに気づいていたため、物語にも同様の構造があるのではないかと仮説を立てた。分析してたどりついた物語の構造を基礎にしたのが、ビッグコミックスピリッツで連載した「平成鎖国論」だった。28歳、漫画家としてのデビューを果たした。

「沖縄シンドローム」

平良隆久さんの著作やシナリオなどで関わった作品(C)小学館/さいとう・たかを/さいとう・プロダクション/リイド社

 「書かせてほしい」。95年、自らの連載を抱える中、担当編集者にゴルゴ13のシナリオを書きたいと懇願した。同年9月、沖縄で起きた米兵による少女乱暴事件。故郷を離れていたが、ウチナーンチュとしての思いは募る一方で、いても立ってもいられなかった。

 米軍絡みの事件では、被疑者の身柄が米側にある場合、起訴されないと日本側に身柄は引き渡されない。現在では一部運用見直しで凶悪事件は起訴前でも日本側に身柄が引き渡されることになったが、例外は多い。日米地位協定の米軍特権は維持されたままだ。

 事件では当初、県警による容疑者の身柄引き渡し要求を米軍が拒否した。県民の怒りは爆発し、事件への抗議は大きなうねりとなり、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。

 「話にならない」。日本に復帰しても変わらない状況を目の当たりにし、平良も怒りを募らせていた。その思いを込めたシナリオが「沖縄シンドローム」(第350話)だ。琉球王家に仕えた家系の血を引く自衛隊の天才パイロットが、日本復帰後も日米両政府によって経済的な発展が阻害され、米軍基地を押し付けられている現状を憂い、独立国だった過去を取り戻すために沖縄出身の自衛官を率いて「沖縄独立計画」を遂行するというストーリーだ。

 荒唐無稽にも思われるが、その作戦は具体的に描かれている。在沖米軍基地の通信網を遮断し、自衛隊が一気に奇襲を掛けて四軍調整官を捕虜にし、普天間飛行場と嘉手納基地を占領、武器庫で火力を増強させてキャンプ・ハンセンとシュワブを制圧、さらにはホワイトビーチに寄港する核兵器搭載が疑われる原子力潜水艦を奪取するという計画だ。自衛隊が奪った米軍の軍事力があまりにも強大なため、日本政府は奪還は困難とのシミュレーション結果を示す―。

 「クーデター」と言える内容かもしれないが、サブタイトルは「PART6 近づいた“蜂起”」と表現されている。暴力による政変ではなく、支配者の圧政に人々が立ち上がる意味合いが強い言葉が使われた。「さいとう・たかを先生がそうしたかもしれない」と頭を巡らせた。

 時代を映した内容に沖縄では大きな反響があった。物語はゴルゴ13の35周年で読者が選ぶベスト13の中にも入るほど人気を博した。自衛隊トップからは「会いたい」と接触されたという。

 物語の結末はパイロットから連絡を受けた人物が「今ではない」と苦渋の選択でゴルゴ13に計画を止めるよう依頼し、「独立」は未遂に終わる。平良も「今ではない」と考えたという。

逆転の発想

 30歳を過ぎた頃、人気漫画「名探偵コナン」のシナリオも任されるようになった。小説も担当し、作品は英国やスペイン、中国、韓国など世界20カ国以上で翻訳され、今も売れ続けている。「世界に行く」という夢も実現した。

 ほかにも「名探偵コナン推理ファイル 九州地方の謎」、ビッグコミックスペリオールで連載した「マーメイド」、ビッグコミックオリジナルで連載した「今そこにある戦争」など、沖縄に関する作品も手掛けてきた。

 2020年には長年の盟友で、日米地位協定や沖縄の基地問題に詳しい沖縄国際大の前泊博盛教授に監修してもらい「まんがでわかる日米地位協定」を出版した。沖縄から地位協定改定を求める声が上がっても、県外の人々の多くは聞く耳を持たないためだ。それどころか飲み屋などに行くと「中国がー」と言って、お題目のように米軍基地は沖縄に在るべきだと語る人に出くわしてきた。ゴルゴ13など、漫画のシナリオを書くために軍事知識を蓄えた平良。そんな論調がまかり通る状況は「沖縄に基地を押し付けて見えなくしているためだ」と言い切る。現状打破の思いを「まんがでわかる―」に込めた。

 「なぜ」「なぜ」「なぜ」と突き詰め、物事の構造を分析し、理解して作品に昇華してきた。「戦争を阻止できるものを書いていきたい」と創作意欲は尽きない。これからの沖縄については「沖縄に配備されている日米の軍事力はハリネズミ国家のスイスを上回る。香港と違い中国さえ手は出せないほどだ。ひとまずその力を利用し、スイス同様の金融特区になるべきだ」と語る。基地の存在を肯定するような言葉だが、沖縄の行く末を見据え、逆転の発想でシナリオを描いている。

 (文中敬称略)
(仲村良太)

【あわせて読みたい】

▼沖縄で戦後初のアナウンサー 島に響かせた希望の声 川平朝清さん

▼元祖沖縄出身アイドルグループ「フィンガー5」が見た日本復帰

▼【動画】100秒で知るコザ騒動 火を放った群衆の「怒りと冷静」

▼女性たちのコザ騒動 50年前のあの日、何を感じていたのか 

▼右と左が一夜で逆転した日 沖縄「ナナサンマル」狂騒曲

▼深い悲しみ込めた代表曲「月桃」 平和音楽家・海勢頭豊さん