過渡期の沖縄人(上) 自己決定権強化の段階<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 11月30日、筆者は東京の某大学病院で前立腺がんと診断された。前立腺生検の結果なので確定診断だ。悪性は中程度で、これから骨とリンパへの転移の有無について精密検査を受ける。筆者は末期腎不全で、妻がドナーとなる腎移植を検討していた。腎移植の条件として、移植される側に心疾患がないこと、がんがないことが条件となるので精密検査を受けた。心臓は移植に耐えられる状態だが、がんが見つかった。がんが転移している場合には移植を断念して、血液透析の準備を始めなくてはならない。

 筆者の年齢で血液透析に移行すると統計上、余命は8年強程度だ。もっとも筆者の周辺で15年以上も透析を続けている人もいれば、2~3年で他界した人もいる。筆者も自分の人生の残り時間を真剣に考えなくてはならなくなった。また、血液透析を導入すれば、最低でも週3回、4時間の透析をしなくてはならず、仕事のペースもかなり落とさなくてはならない。

 筆者は鈴木宗男事件に連座して2002年5月14日に東京地検特捜部に逮捕され、東京拘置所の独房で512日間を過ごした。そこで筆者に起きた最も重要な出来事は、今まで潜在的だった沖縄人としてのアイデンティティーが顕在化したことだ。きっかけは独房で外間守善先生が校注された岩波文庫版の「おもろさうし」(上下2巻)を読んだことだ。久米島のおもろで神々が西銘(母の出身地である)の新垣の杜に降臨したという件を読んで、自分は久米島にルーツを持つ沖縄人なのだという自己意識が強まった。

 独房で母から聞いた沖縄戦の話、久米島での日本軍による住民虐殺の話、伯父(上江洲久・初代兵庫沖縄県人会会長、元兵庫県議会議員)から聞いた沖縄差別の体験、本土復帰闘争などの話が思い出された。大学受験では琉球大学法文学部と同志社大学神学部に合格した。筆者の内面では、琉球・沖縄史の勉強をしたいという思いとキリスト教神学を勉強したいという気持ちがせめぎ合っていた。

 母親と沖縄の親戚一同から「優を琉球大学に送ったら過激な学生運動に関係し、内ゲバに巻き込まれるので絶対にやめろ」と説得された。それで同志社に進み、新左翼系の学生運動のシンパにもなったが、キリスト教への関心が強まり、洗礼を受け、大学と大学院で研究していた社会主義国での神学の勉強を深めるために外交官になった。

 予想に反して外交官、特に情報の仕事は筆者の適性に合っていた。沖縄への関心は心の底に閉じ込められることになった。ソ連やロシアで筆者は少数民族の政治家と深く付き合った。この人たちと会う度に、筆者の沖縄人性が刺激された。

 筆者は沖縄人は民族形成の途上にあると考えている。現在は沖縄の自己決定権を強化する段階で、沖縄人か日本人かという問題は顕在化していないが、いずれ顕在化する。

 ただし、筆者が生きている間に沖縄民族が確立することはまだないであろう。ならば過渡期の沖縄人として、筆者はこれから残された持ち時間(少なければ2~3年)で何をしなくてはならないか絞り込まなくてはならない。

(次回に続く)
(作家、元外務省主任分析官)