泣かずにカミングアウトできる社会に 多様性ファシリテーター・平良亮太 <未来へいっぽにほ>


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 私は普段、講演や研修で自分のカミングアウトについて極力触れないようにしている。自分の過去が「つらかった体験談」として固定化されてしまうことへの違和感がある。今回はあえて触れてみる。

 人生初カミングアウトは高校2年生だった。同性の好きな人ができ、自分の気持ちをどう整理して良いかわからず泣きながら友人に相談した。「誰を好きになっても良いじゃん」という言葉に救われた。

 その後、20歳の誕生日にFacebookでカミングアウトし、講演活動を始めた。活動を取材していただき、紙面上でも同性愛者であることを公表した。両親にカミングアウトしたのはそれよりも後だった。泣きながら伝えた私に、両親は「あなたはあなた、幸せならそれで良い」と言葉をかけた。

 なぜ私は人生初めてのカミングアウト、親へのカミングアウト時に泣いてしまったのだろう。抑圧されていた、あるいは抑圧していた状態から解放されたからだろうか。

 現在は職場でもカミングアウトしている。しかし職場外では伝えるタイミングがなく、私が同性愛者であることを知らない仕事関係の人もいる。「LGBTQであることは仕事に関係ない」という言葉を時折聞くが、本当にそうだろうか。社会人になってから、仕事関係で出会った人から「彼女はいるのか」「結婚しているのか」と聞かれ、「同性のパートナーがいます」と答える機会は多々ある。「カミングアウトしなくてもいい社会を目指そう」という言葉も耳にするようになったが、この言葉はカミングアウトしたいと思っている当事者の口をふさぐ危険性もはらんでいる。まずは、当事者が安心してカミングアウトできる環境を創っていくことを目指したい。その結果、カミングアウトする/しない、どちらの選択をしても幸せな社会が当たり前になるはずだ。