【石垣】石垣島の生物の研究をしながら、志半ばで戦禍に倒れた石垣島測候所(現・石垣島地方気象台)職員、正木任(つとむ)さんの半生をまとめた本「『ツトムの虫』を探して」(ボーダーインク)がこのほど発行された。著者は沖縄大学長の盛口満さんで、石垣島に住む任さんの次男、正木譲さん(87)への取材などをまとめた。譲さんは「父の書けなかったもの(観察成果)を書いてもらえてうれしい」と喜んでいる。
任さんは1907年生まれで、21歳の頃に測候所へ入所した。当時、測候所には島の文化や自然について研究を重ねた岩崎卓爾(たくじ)がいた。岩崎は測候所の2代目所長で、およそ40年にわたり石垣島で気象観測に懸命に取り組んだ人として知られる。また測候所で働く傍ら、石垣島の文化や自然を本土へ伝えた文化人としての顔も持つ。島民から慕われ、石垣市の名誉市民にもなっている。
そんな岩崎が熱中したのは、昆虫など八重山の生物の観測だった。当時、新種として発見された生物に、「イワサキ」と名がつくものも少なくない。そして任さんも、測候所で働きながら岩崎とともに生物観測に情熱を注いだ。和名に「マサキ」の名を冠した生物も6種いるという。
だが任さんは戦争によって突然その命を落とす。与那国島の測候所長となるための研修を東京で受けた帰りに、乗っていた船が米潜水艦の攻撃を受け、帰らぬ人となった。享年35。43年春のことだった。任さんは東京での研修中、石垣島の家族宛てに「動物に関する本」を書くと手紙を送っていたが、その夢をかなえることはできなかった。
今回、発行された「『ツトムの虫』を探して」は著者の盛口さんが、後に父と同じ気象観測の道に進んだ譲さんの証言や資料などから任さんの半生を丹念に描いた本となった。同時に、任さんがまとめられなかった観察成果も書中で紹介している。
譲さんは、自宅に残された任さん作成の観察記録などの資料を見て「親父の観察力は優れていたと思う」と話す。本の発行には「父が書けなかった観察の記録が本になった。ありがたく思う」と喜んでいる。
(西銘研志郎)