目撃者「ごう音と黒煙」 軽便鉄道爆発事故から77年 南風原町でピースウォーク


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「ごう音と共に黒煙が上がった」と列車爆発事故当時の様子を話す大城吉永さん(手前右)=11日、南風原町神里

 【南風原】県営鉄道(軽便鉄道)の列車が大里村(現南城市)の稲嶺駅に向けて走行中、機関室から出た火の粉がガソリンや弾薬に引火して大爆発し、鉄道職員や女学生、日本軍の兵士たちの命を奪った事故から11日で77年を迎えた。爆発現場から近い南風原町神里で同日、沖縄戦を知るピースウオーキング(同実行委員会主催)が開かれ、46人が参加した。爆発を目撃した住民らと一緒に事故現場などを巡り、当時の様子や戦中の神里などについて学んだ。

 ウオーキングでは、神里在住の大城吉永さん(85)と南風原平和ガイドの会の平良美智子さん(66)が解説した。大城さんは事故当時、集落内で爆発を目撃した。「ごう音と共に黒煙が空に上がった。(集落の)ガジュマルには黒ずんだ人の肉片や白い(医療用の)ガーゼが多く付着していた。戦後、事故現場の近くの畑を耕すと遺骨がたくさん出た」と振り返った。線路周辺に弾薬が積まれていたことや、事故後すぐにかん口令が敷かれたことなどを伝えた。

 那覇市から参加した山内和子さん(86)は父が県営鉄道の職員だった。「父は、亡くなるまで一切事故の話をしなかった。現場へ行き、話を聞いて事故の悲惨さを知った」と語った。
 (金城実倫)