野村萬斎×嘉数道彦 狂言の「間」と琉球の「音」…「唐人相撲 なはーと編」を語る


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

12月12日に那覇文化芸術劇場なはーとで上演された狂言「唐人相撲 なはーと編」の構成を務めた狂言師の野村萬斎さんと琉球芸能実演家の嘉数道彦さんが、同日の昼公演の後、琉球新報などの取材に応じた。

 

Q:最初の公演を終えて手応えは。

野村萬斎「狂言の舞台に乗って琉球の文化芸能と交流ができたし、それをお客さんも喜んでくれたかなと思う。嘉数さんら皆さんの協力あってのことだ」

嘉数道彦「沖縄ではなかなか狂言を見る機会がない。最初はお客さんから『どこまで笑っていいのかな』という空気も少し感じたが、ちょっとした琉球芸能のエッセンスが混ざることで、リラックスして狂言の世界を楽しむことのお手伝いができたというか、一つのものを一緒につくれたと思う」

 

Q:ここは作りがいがあった、あるいは難しかったという部分は。

嘉数「狂言には音楽があまり入らない。沖縄の芸能は踊りにしても芝居にしても、音楽に助けられている部分があると感じた。音のない世界で演じる狂言には、琉球芸能と違う間や空気感がある。その中に琉球的なテンポやリズムを取り入れてまとめてくれた」

萬斎「音が入るとずいぶん助かる。狂言は楽器がないので、ちょっとした間やせりふの言い出しでみんなのテンションを上げていかないといけない。大トリ(クライマックス)の綱引きの場面は、昨日も『ああでもない、こうでもない』と模索した。つくっては壊して、というのが僕の演出スタイルだから驚かれたかもしれないが、一つの形になったと思う」

 

Q:今回の経験をどのように生かしていけそうか。今後の交流の展望は。

萬斎「互いの違いを知ることが己を知ることになる。自分たちのアイデンティティーにつながる。(自分に)ない部分は尊重し、同じ部分は一緒にやることに何の抵抗もない、そういうことが分かるのが重要だ。次なる(コラボレーションの)機会や、互いの特性を生かせる作品があればいい。今回は『唐人相撲』という狂言の古典を一つの場にできたが、次に新作やもっと違う世界をやる契機にもなればいい」

嘉数「私たちも『琉球芸能ってこういうものか』と気付かされた。今回は狂言の中に琉球芸能を加えるというスタイルで挑戦したので、できる限り狂言の間に近付くようにしたが、思うようにいかない点もあった。いつもやっている世界観とは違う、張り詰めたテンポや間の取り方を体験できたのは財産になった。今後、琉球芸能の新作や新たな挑戦をするときに自然と生かされると思う。今後も自分たちの持ち味を把握しつつ、いろんな表現方法を学びながら琉球芸能を広く深く発信していきたい」

萬斎「今回は琉球芸能の明るさに助けられた。前半の『三番叟』が荘重な儀式ということもあって、最初はお客さんが固かったが、琉球語を取り入れたところから良い感じだったのではないか。お国柄を取り入れることに成功した」

 

Q:出演した市民の皆さんはどうだったか。

萬斎「主に弟子の深田博治が指導したが、公共劇場では見るだけでなく参加してもいいということと、われわれプロと混ざってハイレベルなステージでやれるということを意識してもらえたらいい。税金で大きな劇場を建てているので、市民に見に来てもらわないといけない。文化活動は需要と供給がいい関係にならないといけない。この劇場がみんなのよりどころ、集まるスポットになれば素晴らしいと思う」

嘉数「深田さんが市民に細かく教えてくれた。市民が入るのは大変な面もあると思うが、お客さんと古典芸能の距離が近くなるという大きな効果がある。お客さんも一般の方が出ていると応援したくなる。狂言と琉球芸能が一緒にやったのも今回の特徴だが、一般市民にも出てもらったことで、なはーとにとって良いこけら落としになったのではないか。今後もそういうことがどんどん発展してくれたらうれしい」