まっすぐなまなざし。気さくで明るい笑顔。はっきりとした物言い。紫のヘアカラーはトレードマークだ。沖縄県で2人目の女性副知事となり、さらに沖縄初の女性国会議員、女性首長として政治・行政の道を切り開いた東門美津子(79)。その歩みは沖縄の女性たちと共にあった。「私は女性たちに刺激を受け、育てられた」と振り返る。
政治家になるとは思ってもいなかった。米軍基地内のクバサキハイスクールで約20年、日本語教師として教壇に立った。沖縄の日本復帰の年に結婚した。
「県民誰もが希望を持っていたのが復帰だったと思う。憲法の下に帰り、『基地のない平和な沖縄』がキャッチフレーズでそれを希望し、信じていた」
クバサキを退職後、転機が訪れた。1991年に県国際交流財団の専務理事に就任。行政や政治で活躍する沖縄の女性たちに出会った。「本当にすごいと驚いた。元気がある、活気がある、どんどん発言する。追い付くのが精いっぱいだった」
沖縄では全国に先駆け女性たちの動きが広がっていた。大田昌秀県政の下、全国2人目の女性副知事に尚弘子が就任。沖縄キリスト教短期大学長に原喜美、沖縄タイムス編集局長に由井晶子がいた。その3年後、大学の恩師である大田から副知事就任を打診された。夫利美は「女性の時代だよ」と美津子の背中を押した。
以降、復帰をへてなお基地の被害に苦しむ沖縄の現実に正面から向き合うことになる。
(文中敬称略)
(座波幸代)
沖縄が日本に復帰して来年で半世紀。世替わりを沖縄とともに生きた著名人に迫る企画の15回目は、元副知事の東門美津子さん。政治・行政の道を切り開いた東門さんの思いを紹介する。