「自分たちが一番準備をやっていたからだと思います」。2010年8月、県勢として初めて夏の甲子園を制し、史上6校目となる春夏連覇を果たした興南高の元エース、島袋洋奨さん(29)は偉業達成の要因について、そう言い切る。1999年に沖縄尚学が県勢初の春優勝を飾った時は6歳。リアルタイムで観戦した記憶はない。高校まで県勢の夏優勝がないことも知らなかった。平成生まれの新世代が沖縄スポーツの新たな扉をこじ開けた。
我喜屋優監督には「大人になりなさい」と頻繁に言われたという。選手は注意し合い、自ら考える集団を形成していった。春に向け、氷水に手を付けて寒さ対策を講じ、夏の前にはカッパを着て暑さと湿気に備えた。「自分たちで律したから、自然と質の高い練習ができた」と振り返る。
綿密な準備は自信に変わる。夏の準決勝で5点差から逆転勝利を収めた時も、我如古盛次主将が「やってきたことを信じてやろう」と呼び掛け、「チームの士気は下がっていなかった」(島袋さん)という。今は母校の新米コーチとして、学生の人間形成や競技力向上に頭を巡らせる日々。「県外のチームを上回る野球をしたい」と再び偉業を目指す。 (長嶺真輝)
しまぶくろ・ようすけ 1992年10月24日生まれ、29歳。宜野湾市出身。興南高時代に「トルネード投法」で甲子園を席巻。中央大出。2015年にプロ野球ソフトバンクに入団し、19年に引退した。
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沖縄の日本復帰から今年で50年の節目を迎える。沖縄スポーツにとっての半世紀は、各競技の“うちなーアスリート”が日本、世界の大舞台で熱いドラマを紡ぎ、これに県民が心震わせてきた歴史でもある。郷土の期待を背に躍動する姿に県民は夢と希望を見いだした。年代を代表する選手や、象徴的な出来事に関わったエピソードを通して50年間の軌跡をたどる。