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島袋洋奨さん、新世代「準備力」で偉業 甲子園春夏連覇・興南元エース<県勢アスリートの軌跡>


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夏の甲子園決勝、東海大相模打線を相手に力投する島袋洋奨=2010年8月21日、兵庫県の阪神甲子園球場

 「自分たちが一番準備をやっていたからだと思います」。2010年8月、県勢として初めて夏の甲子園を制し、史上6校目となる春夏連覇を果たした興南高の元エース、島袋洋奨さん(29)は偉業達成の要因について、そう言い切る。1999年に沖縄尚学が県勢初の春優勝を飾った時は6歳。リアルタイムで観戦した記憶はない。高校まで県勢の夏優勝がないことも知らなかった。平成生まれの新世代が沖縄スポーツの新たな扉をこじ開けた。

 我喜屋優監督には「大人になりなさい」と頻繁に言われたという。選手は注意し合い、自ら考える集団を形成していった。春に向け、氷水に手を付けて寒さ対策を講じ、夏の前にはカッパを着て暑さと湿気に備えた。「自分たちで律したから、自然と質の高い練習ができた」と振り返る。

レプリカ優勝旗の前で春夏連覇を成し遂げた思い出を振り返る島袋さん=2021年12月、那覇市の興南高校(大城直也撮影)

 綿密な準備は自信に変わる。夏の準決勝で5点差から逆転勝利を収めた時も、我如古盛次主将が「やってきたことを信じてやろう」と呼び掛け、「チームの士気は下がっていなかった」(島袋さん)という。今は母校の新米コーチとして、学生の人間形成や競技力向上に頭を巡らせる日々。「県外のチームを上回る野球をしたい」と再び偉業を目指す。 (長嶺真輝)

 しまぶくろ・ようすけ 1992年10月24日生まれ、29歳。宜野湾市出身。興南高時代に「トルネード投法」で甲子園を席巻。中央大出。2015年にプロ野球ソフトバンクに入団し、19年に引退した。

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沖縄の日本復帰から今年で50年の節目を迎える。沖縄スポーツにとっての半世紀は、各競技の“うちなーアスリート”が日本、世界の大舞台で熱いドラマを紡ぎ、これに県民が心震わせてきた歴史でもある。郷土の期待を背に躍動する姿に県民は夢と希望を見いだした。年代を代表する選手や、象徴的な出来事に関わったエピソードを通して50年間の軌跡をたどる。

▼【復帰50年 県勢アスリートの軌跡】