普天間飛行場返還、機能維持主眼 国防総省が主導権 96年米外交史料、琉大・山本氏分析


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宜野湾市の真ん中に位置する米軍普天間飛行場=11日

 1996年4月の米軍普天間飛行場の全面返還合意から25年がたつが、返還はいまだ実現していない。県内移設が条件となった日米の普天間返還を巡り、琉球大の山本章子准教授(国際政治史)は米側の外交史料を基に、当時のウォルター・モンデール駐日大使が返還協議に消極的だったと分析する。米国防総省が返還協議を主導するようになったことで、沖縄の負担軽減という政治的な意味合いは遠のき、いかに基地機能を維持するかに米側の目標が移っていったかという経緯が浮き彫りとなる。

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 山本准教授が着眼した史料は駐日米大使館の電報などで、米ジョージワシントン大学の国家安全保障文書館に所蔵されている。96年3月19日付で駐日米大使館から国務長官宛てに送られた電報には、「クリントン大統領が訪日しても普天間(飛行場)の地位が劇的に変わる可能性はない」と記していた。

 96年2月、橋本龍太郎首相はクリントン米大統領(ともに当時)との日米首脳会談で、県からの普天間飛行場の返還要求を伝えていた。同4月に橋本首相とモンデール氏が首相官邸で共同会見し、全面返還の合意を発表した。2月の首脳会談から4月の合意発表までに、大使館から国務省宛てに電報が送られた。

 電報の意図について、山本氏は「普天間飛行場の返還は難しいということで日本政府と見解が一致していると伝えている。返還を断念するよう日本側に働き掛けていたことが読み取れる」と分析。その上で「(実際には)返還ではなく移設を検討していた国防総省が(日本との協議を)主導していた。返還合意の発表でモンデール氏が橋本首相と並んだのは、橋本氏が『格』でモンデール氏を選んだにすぎない」と指摘した。

 日米両政府は現在、名護市辺野古移設に向けて埋め立て工事を進めている。だが県内で反発が大きく、2019年2月の県民投票では埋め立て反対が投票者の7割に上った。さらに埋め立て予定海域に軟弱地盤が判明し、完成は遠のいている。(明真南斗)