【山本氏インタビュー】モンデール大使も消極姿勢で負担軽減からすり替え


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 米軍普天間飛行場の返還は県内移設が条件となった背景に関し、琉球大の山本章子准教授(国際政治史)は、当時のモンデール駐日大使が国務省に送った電報を基に普天間飛行場の返還に消極的だったと分析する。米側で国務省ではなく、国防総省が主導権を握ったことで「日米協議の主眼が沖縄の基地負担軽減から基地機能の維持にすり替わった」と指摘する。

▼普天間飛行場返還、機能維持主眼 国防総省が主導権 96年米外交史料から

 ―国務省が消極的だったことを示す史料は、どのような内容か。
 「1996年3月にモンデール氏を筆頭とする駐日米大使館から本国の国務長官宛てに電報を送っていた。同年4月に控えるクリントン米大統領訪日を前に、普天間飛行場の返還は難しいということで日本政府と見解が一致していると伝えている。政治問題には発展しないよう抑え込めているというメッセージだ。返還を断念するよう日本側に働き掛けていたことが読み取れる」

 ―なぜ大使館はこの電報を送ったと考えられるか。
 「駐日米大使館にとって目下の課題は大統領の訪日を成功させることだった。返還協議がこじれて大統領が抗議を受けるなど、歓迎されていない状況になると困る。そのため、事前に返還合意を諦めさせる方向に持っていきたかったと考えられる」

 ―実際には返還協議が進んだ。なぜか。
 「米大使館が送った電報と同時期にキャンベル国防次官補代理がまとめた別の文書には、返還ではなく移設を検討していたことが記されている。国防総省が主導していたことは明らかだ。返還合意の発表でモンデール氏が橋本龍太郎首相と並んだのは、日米両政府のトップ合意をアピールしたい橋本氏が『格』でモンデール氏を選んだにすぎない」

 ―その結果どうなったか。
 「軍事的な発想で返還協議が導かれることになった。主眼が沖縄の負担軽減ではなく、有事も念頭にした基地機能の維持となった。政治的な決断による返還から、県内移設にすり替わっている。県内移設では、県内で米軍機が飛び回る環境は変わらず、負担は減らない」

 (聞き手・明真南斗)