復帰っ子と戦中生まれ 沖縄を語る 対談・仲田まさえ×知名定男


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子

 今年は復帰50年となる。沖縄音楽を育んできた歌手・音楽プロデューサーの知名定男と、役者・歌手の仲田まさえはそれぞれの立場で沖縄と向き合ってきた。知名は沖縄戦があった1945年生まれ、仲田は復帰の年の72年生まれだ。二つの大きな節目に生まれた2人が、沖縄のアイデンティティーや音楽の力について語り合った。

 知名は兵庫県尼崎市で幼少期を過ごした。沖縄人差別に遭い「ウチナーンチュであることが嫌だった」という。沖縄に戻って民謡の才能を見いだされ、次第に沖縄に誇りを感じるようになった。

 復帰後は若者の本土志向に危機感を覚え、あえて自らメジャーデビューした。もくろみは当たり、沖縄音楽は全国で評価されるようになった。苦悩の歴史を心に刻みながら「幸せを感じられる島」の実現を願う。

 仲田の祖母は喜劇の女王、仲田幸子。沖縄芝居を見て育った仲田でさえ、高校卒業後は東京へ出たいと考えていた。だが、沖縄に残って芝居を守った。歌手としても飛躍し、沖縄を拠点に活動の幅を広げる。「癒やしを求めて人が来る、ずっとそんな島であってほしい」 (高江洲洋子、稲福政俊)

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