辺野古移設の是非が問われ続け20年以上…名護市長選に住民の思いは?


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日本復帰前ににぎわった「基地の町」の面影が残る名護市の辺野古社交街=14日午後6時ごろ

 「かつてのようなにぎわいを取り戻す絶好のチャンスだ」。名護市辺野古区で生まれ育った玉利朝輝さん(63)は米軍普天間飛行場の移設先に同区が浮上すると、地域の発展を期待し、約20年前に那覇市から戻ってきた。

 日本復帰以前、辺野古はキャンプ・シュワブの米兵らを相手とした飲食店などが100軒以上立ち並び、にぎわっていた。

 両親が経営するレストランも繁盛。当時の写真を眺めながら「今の自分があるのは基地のおかげ」と繰り返す。

 移設後の雇用拡大や企業誘致などに期待するが、完成まではほど遠い。「軍民共用の話はなくなり、今の補償も十分ではない」。19年の参院選沖縄選挙区に候補者でただ一人「賛成」の立場で出馬したが落選。思うように進まない現状にため息をつく。

 移設後を見据えた議論が下火になっていることを懸念する。市長選の両予定候補者の主張を念頭に「反対だけでは何も得られない。賛否を示さないのも有権者に失礼だ」と指摘。「将来子どもたちのため、態度を明確にしてビジョンを示すべきだ」と訴えた。

 移設が予定される東海岸側と山を挟んだ西側。市川上で暮らす宮城保さん(72)は「西側は基地問題なんて関係ないと思っている市民もいるが、米軍機の騒音被害はある。08年には真喜屋のキビ畑に米兵所有のセスナ機が不時着した。人ごとではない」と指摘する。

 市職員として働き、市職労委員長や辺野古区の「命を守る会」=15年解散=の事務局長として、移設反対を訴えてきた。

 20年余りにわたって移設の是非が問われ続ける状況について「市民投票や県民投票で反対の民意を示した。これ以上の意思表示はない。それでも政府は沖縄の意思を一顧だにせず、工事を強行する」と唇をかむ。

 前回市長選や昨年の衆院選では、移設反対の候補が落選した。「目の前の生活を優先する若い人が増えた。貧しい沖縄の弱みだ」と残念がる。

 一方で「沖縄戦を体験した県民の本音は変わらないはずだ」とも信じ、言葉に力を込めた。「戦争につながる新基地の建設を止め、埋め立て地は海に戻すか平和利用してほしい」

 (’22名護市長選取材班)