90代の元学徒が歌に込めた不戦の誓い 「今のうち、生きているうちに」 ひめゆり同窓生ら協力


社会
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 【那覇】「きょうも吹き渡る摩文仁の丘に 不戦の誓い 津々浦々に響き渡れ ああいつまでも 伝えてよ♪」―。沖縄戦に動員された旧制師範学校・中等学校の元学徒らでつくる「元全学徒の会」幹事の宮城政三郎さん(93)が作詞・作曲した歌が、このほど完成した。採譜したのは音楽教員だった元県立第一高等女学校の与儀毬子さん(91)。与儀さんとひめゆり同窓生らが那覇市内にある宮城さんの自宅を訪れ、歌を吹き込んだカセットテープを手渡した。亡くなった友人たちを思い出し、思わず涙ぐんだ宮城さんは「私たちはもっと生きて、戦争のことを語り継いでいきましょうね」とかみしめるように語った。

与儀毬子さん(右端)の教えを受けながら歌う宮城政三郎さん(左から2人目)、ひめゆり同窓会の翁長安子さん(左端)、玉城節子会長(左から3人目)=11月11日、那覇市古島

 宮城さんは「元全学徒の会」の活動で、糸満市の平和祈念公園に沖縄戦に動員された21校全ての戦没者数を記した刻銘板の設置を実現するまでの記録をつづった冊子「ああ、いつまでも伝えてよ」の編さんを進めている。歌は、編さんのさなかに一時期体調を崩し、作業を中断していた時にふと思いついた。宮城さんは思いついた歌詞とメロディーをカセットテープに吹き込み、会の共同代表で、ひめゆり同窓会の玉城節子会長(93)に渡した。玉城さんの後輩の与儀さんが聴き取り、メロディーを譜面に書き起こした。翁長安子さん(92)ら「ひめゆりコーラス」がその歌を歌い、テープに吹き込んだ。

 昨年11月、与儀さんと玉城さん、翁長さんの3人は宮城さんの自宅を訪れ、楽譜とテープを手渡した。「ちゃんと歌になっている、ありがとう」。初めて聴いた宮城さんは感謝を伝えた。

 歌は3番まである。10代の学徒らが動員された沖縄戦、心を痛めながら語り継ぐ決意、「平和世」を望みながら死んでいった友の無念を伝えていってほしいという思いを歌詞に込めた。

 宮城さんは、与儀さんから教えてもらいながら翁長さんや玉城さんと繰り返し歌い、音やリズムを覚えていった。

 その後、4人は戦争体験を語り合った。翁長さんは首里安国寺の永岡敬淳住職が隊長を務めていた沖縄特設警備隊第223中隊(通称・永岡隊)に看護要員として従事した。首里の第32軍司令部が南部に撤退した後も「郷土部隊は最後まで残れ」と言われ、部隊は米軍の猛攻撃を受けた。

 傷を負い、米軍の砲弾が降り注ぎ、死体が散乱するむごい光景の中を南部へ向かった翁長さん。「日本がガダルカナルやサイパンで戦争をやめていれば良かった。沖縄戦でも首里で降伏し、南部撤退しなければこれだけの人が殺されずに済んだ」と強調した。

 本部町出身の与儀さんの父親は日本兵にスパイ嫌疑をかけられ、虐殺された。住民の証言から、1945年4月17日、国頭支隊の宇土部隊に米軍上陸を報告しに行く途中、殺害されたとみられる。与儀さんの母親は一緒に逃げる途中、与儀さんをかばって砲弾に当たり目の前で亡くなった。

 「今のうちに、生きているうちにしか残すことができない」と力を込める宮城さん。戦争を二度と起こしてはいけないという思いを込めた歌が多くの人に届くことを願っている。

 (中村万里子)