短歌に込めた不安 今も戦争の爪痕、新基地も…屋武公子さんが見た「復帰」<世替わりをよむ>1


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約1万人が参加して雨の中で繰り広げられた県労協統一大会後のデモ。コザ市で行われた最大のデモ=1971年4月15日、コザ市の島袋三差路

 〈復帰不安昏迷続く沖縄に幸もたらすや国政参加〉

 沖縄の日本復帰を翌年に控えた1971年1月29日付の琉球新報夕刊で、読者が短歌を投稿する企画「琉球歌壇」で掲載された作品だ。投稿したのは歌人の屋部公子さん(92)。当時41歳。基地なき平和な沖縄という多くの県民が望んだ状況が実現する見通しはなく、日本へ復帰したとしても幸せが訪れるのか。募った不安が短歌に表れた。「果たして復帰していいのか。複雑な思いで復帰を考えていた」と振り返る。

続く不条理

 1929年2月、那覇市若狭で生まれた屋部さん。35年から東京に住み、尋常小学校や高等女学校で学んだ。しかし、太平洋戦争が激化する中で、学業を中止して女子挺身隊として工場で働いた。戦後、十数年は東京で暮らし、48年に聖心女子学院旧制専門学校歴史科を卒業した。55~56年には祖母が住む沖縄を数回、訪問した上で57年に沖縄への永住を決めて帰郷した。70年ごろから短歌を本格的に学び始め、琉球歌壇へも投稿した。冒頭の作品はそうした中で投稿した。

 屋部さんの作品が載った日の朝刊の1面トップ記事の見出しは「“返還時期”まで交渉進展せず/外相、衆院予算委で答弁/夏までには調印/首相は四月説を強調」。日本へ復帰する日が72年のいつになるのかもまだ決まっていなかった。

 米軍基地があるために住民の命が危険にさらされる事態が続いていた。米軍知花弾薬庫に貯蔵されていた毒ガス兵器の移送が行われたのも同時期。毒ガスの1次移送は71年1月13日、2次は同年7月15日~9月9日だった。

 訓練時の米軍機事故や公務外の生活での殺人、女性への乱暴、交通事故―。米統治下に米軍が絡む事件・事故で米兵が正当に裁かれない不条理も相次ぎ、恐怖を感じた。日本へ復帰しても不条理が改善されるようには見えなかった。

 71年1月29日付の琉球歌壇で掲載された屋部さんの短歌には次の2作もある。

 〈国政参加反対を叫びてデモる若き等の政治不信に心は痛む〉

 〈我も又男子を持てる母なればデモ隊の挙措深刻に享く〉

 米統治下、基地も核兵器もない平和な沖縄を求め、住民たちがデモ行進や集会で抗議の声を上げていた。復帰が迫る中でも「政治が必ずしも正しい方向へいくとは限らない。不安は大きかった。復帰した場合に、軍事的ないろんな状況の中で(子どもたちの世代が)戦争にかり出されるのではないか」との思いを率直につづった。

ひめゆり世代

屋部公子さんが切り抜いて保管している1971年1月29日付の琉球新報夕刊「琉球歌壇」

 戦前から戦中・戦後の東京や沖縄を生きてきたからこそ、実感がこもる。2020年2月、屋部さんは91歳で自身にとって2冊目となる歌集「遠海鳴り」を刊行した。同歌集には、東京で暮らしていた小学生の頃に起きた1936年2月の「二・二六事件」についてつづった歌も収めた。

 〈雪降ると聞けば記憶の甦るとほき二月のとほき叛乱〉

 〈軍国日本の引き金となりし銃声の幻聴となる二月の空に〉

 当時、軍国主義で戦争へと突き進む日本で、大人たちの特異な雰囲気を子どもながらに感じ取った。「90歳を過ぎた今、戦争を知らない方が多い中で、歴史を振り返っていただきたい」との思いで収録した。

 沖縄戦の戦没者を悼む慰霊の日についての歌や、多くの住民が犠牲になった読谷村のチビチリガマ、南風原陸軍病院壕跡がある南風原町の黄金森など戦跡を訪れて詠んだ歌も収録した。

 〈米軍に囲まれし洞に投降か自決か心裂かれし人ら〉

 〈病院壕に数多の傷兵診たまひし医師の悲憤を胸痛く聴く〉

 東京での戦争を体験した屋部さん。ひめゆり学徒隊ら、戦場に動員された女学生たちと同世代でもあり「もし、沖縄戦の時に沖縄に住んでいたら、どうなっていたか。自分で足を運んで実際に見て詠んだ」と思いを語る。

 〈戦争の過去形とならぬ沖縄に基地を海まで溢れしむるか〉

 沖縄戦から77年、復帰から半世紀を迎える今も戦争の爪痕は残り、戦争につながる基地が新たに建設される。「まだまだ不発弾があり、戦没者の遺骨も出てくる」と話し、現在進行形で続く次の戦争につながりかねない動きを憂う。

期待と現実

屋部 公子さん

 戦前から続く琉球新報の琉球歌壇には、世替わりの中で詠まれてきたウチナーンチュの心情が刻まれている。復帰50年の今年は、半世紀の歩みに思いをはせ、これからの沖縄につながる作品も寄せられている。米統治下を知る世代は、復帰前後の体験に基づいた歌を詠む。復帰を知らない世代も歴史を学び、表現してほしいと感じている。

 「復帰を経験していない人も、いろんなことを調べ、認識を新たにする人も出てくると思う。歌を詠む人も読者もいい勉強になると思う」と思いを込めた。

 日本復帰50年を経た今も、過重な基地負担が続く沖縄。復帰を目指した住民の思いは、復帰に込めた喜びや期待の半面、復帰後の現実との開きがある。

 凝縮された文字数の中で、今の社会状況や一人一人の生活、沖縄の将来像について考えるきっかけにもつながる。「たった31文字でその人の思い、社会のことが分かる。沖縄の歴史の一端が歌によって分かる」と歌壇から読み解ける世相について語った。
 (古堅一樹)


 琉球新報の「琉球歌壇」を軸に各時代の世相を読み解く。当事者や識者の見解を踏まえ、時代背景や詠んだ人の心情を探り、改めて復帰50年の沖縄が置かれた状況や将来像を考える。