名護市長選の結果 新基地は諦めでなく我慢だ<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 23日に投開票が行われた名護市長選挙では現職の渡具知武豊氏が当選した。この選挙結果の分析は意外と難しい。中央政府は、辺野古新基地建設に反対する岸本洋平氏が敗れたことをもって、地元(名護市民)は新基地建設を容認したとの印象を醸し出そうとしている。これは稚拙な情報操作だ。

 24日の本紙社説が的確に指摘しているように、<辺野古新基地建設反対を表明して選挙戦に臨んだ新人の岸本洋平氏が敗れたことで、名護市民が建設を容認したとはいえない。再選を果たした渡具知氏はこれまで一貫して建設の是非には踏み込まず「国と県の係争が決着を見るまではこれを見守るほかない」との立場を示してきたからだ>(24日、本紙社説)。

 渡具知氏に投票した有権者には、新基地建設に賛成する人、容認する人、反対する人が混在している。特に渡具知氏を推薦した公明党県本は米海兵隊普天間飛行場の辺野古移設に反対している。中央政府はこの点を軽視すべきでない。

 日本の新聞で筆者が違和感を覚えるのは、新基地建設に対して多くの名護市民が諦めてしまっているという論調だ。「朝日新聞」は、25日の社説で、∧投票率は前回を8ポイント余り下回る68・32%と、過去最低だった。コロナ禍で選挙運動が制約を受けた影響もあったかもしれないが、気がかりなのは、いくら移設反対の声をあげても何も変わらないという、街から聞こえたあきらめの声だ∨と指摘する。

 名護市民の声を「あきらめ」と受け止めるこの社説を書いた論説員の感性は鈍い。名護市民は「あきらめ」ているのではなく、我慢しているのだ。あきらめと我慢を混同してはならない。この点については、大城立裕氏が小説「辺野古遠望」(『あなた』新潮社、2018年に収録)が沖縄人の内在的論理をヤマトの人々にも理解できる言葉で見事に表現している。辺野古新基地問題について言及する日本人記者には必読の小説と思う。

 ところで筆者は東京に在住する日本系沖縄人だ。沖縄人か日本人かどちらかを選べという状況になったら、筆者は躊躇(ちゅうちょ)することなく沖縄人を選ぶ。筆者のように沖縄に住んだことがない沖縄人の持つ沖縄への愛は、いわゆる遠隔地ナショナリズムに近くなる。

 生活の基盤を持たずに観念的に沖縄について論じてしまう。辺野古新基地建設に筆者は反対だ。しかし、今回の名護市長選挙の結果は、これが民意だと率直に受け止めなくてはならないと思っている。前出の琉球新報の社説では、<選挙戦では、新基地建設問題以外にも、喫緊の課題である新型コロナウイルス対策や経済振興策、教育・子育て支援、北部基幹病院の整備、福祉・高齢者対策など暮らしの問題も問われた。新基地建設の是非よりも、こうした問題を重視して投票した人々も少なくないだろう>との指摘がなされている。

 この点が極めて重要だ。特に北部基幹病院の整備は、住民の生命と健康に直結するので極めて重要だ。住民の生活上のニーズに応えることができず、「辺野古新基地建設に反対するわれわれは正しいのだ」という態度を取っている政治家や政党は民衆から見放される。名護市民の我慢に思いを寄せつつ、筆者は辺野古新基地建設反対の言論活動を続けていきたいと思っている。

(作家・元外務省主任分析官)