【独自】沖縄振興「地域立法で最高のものに」 山中氏が高率補助を指示、策定時の元事務次官が証言


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2度にわたって沖振計の策定に携わった元沖縄開発事務次官の藤田康夫氏=2021年6月撮影、東京都町田市

 【東京】1972年の沖縄の日本復帰前に「沖縄振興開発特別措置法」(沖振法)の策定に携わり、92年度からの第3次沖縄振興開発計画(振計)の策定時には沖縄開発事務次官を務めた藤田康夫氏(85)=東京都町田市=が、6日までに琉球新報の取材に応じた。現行法でも適用される公共事業の高率補助について、初代沖縄開発庁長官の山中貞則氏から「最高のものに」と指示を受けたことを振り返る。第3次振計では、当時の大田昌秀知事による米軍用地強制使用の代理手続きを受け、「困難がある中で踏み切った」として大蔵省(現財務省)に振興策の延長を迫ったという。

 藤田氏は1959年に東京大法学部を卒業し、旧自治省に入省。71年に旧沖縄・北方対策庁に出向し、沖縄振興の根拠法となった沖振法の策定に携わった。91年に沖縄開発事務次官に就任し、約1年半同職を務めた。

 「まさに『山中案件』だった」。藤田氏は、半世紀前の沖振法の成立過程をこう振り返る。

 法案策定時の最大の懸案は、道路、港湾などの公共インフラ整備事業における「国庫補助率の問題」だった。

 法案の策定前に藤田氏は、当時の総理府総務長官だった山中氏から「あらゆる地域立法の中で最高のものにするように」と指示を受けていた。北海道開発の特例や奄美群島復興特別措置法など、戦後にとられた地域振興法における補助率のかさ上げを調べ、最も高い補助率を沖縄に適用する形で法案を固めていった。

 特に港湾施設について「10分の10」という高い補助率としたことには、大蔵省から強い反発があった。法案が国会に提出される直前に大蔵省幹部が強く見直しを求めてくる差し迫った状況があったが、山中氏は「譲らなかった」という。

 そうした中で「振興開発計画がなければ高率補助は適用できない」という原則を踏まえ、根拠となるマスタープラン(基本計画)について「県に原案提出権を認める」とする新制度を創案。県と国で沖縄振興開発計画の原案策定を急ピッチで進め、法律の制定にこぎつけた。

(安里洋輔)
 


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