沖縄振興か基地か-大田元知事が迫られた踏み絵 代理署名で厚遇 元事務次官の証言


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琉球政府行政主席の屋良朝苗氏(左)と談笑する山中貞則氏(右)=1969年1月14日

 「沖縄振興開発特別措置法」(沖振法)の策定に携わった藤田康夫氏(元沖縄開発事務次官)の証言からは、半世紀にわたる沖縄振興開発計画が、当時の政治状況に左右され続けてきた構図が浮き彫りになる。

 第3次沖縄振興開発計画(1992~2001年度)では、1990年のPKO法案を巡る国会審議が影を落とした。沖縄で開催された地方公聴会で法案への異論が相次ぎ、同年の県知事選では革新陣営の大田昌秀氏が当選した。政府や与党の自民党内で「沖縄振興」を推進する声がしぼみ、振計の延長が宙に浮く形になった。

 そうした中、政府内で懸念材料となっていたのが、在沖米軍用地再契約拒否用地の強制収容のための公告・縦覧代行問題だった。当時の海部俊樹首相は、大田氏に革新市町村が拒否した縦覧代行に応じるよう求めており、保守系の西銘順治氏から県政を引き継いだ大田氏の判断が焦点となっていた。

公告・縦覧代行実施を表明する大田昌秀知事(当時)=1991年5月28日、県庁

 沖縄開発庁の事務方トップだった藤田氏は「政府、与党内で3次振計の策定への理解を求める必要があった」と当時の自身の心境を吐露する。

 結果的に大田氏は公告・縦覧代行を表明する。藤田氏は、悩んだ末に縦覧代行に応じた大田氏の決断について、3次振計策定を巡る大蔵省との交渉の場で触れたという。「大田知事は、困難がある中で無理して代理署名に踏み切った。その点は強調した」

 基地負担軽減か沖縄振興か―。大田氏が迫られた踏み絵は、第6次に当たる新振計の策定を目前に控えた現在にも通じる。

 米軍普天間飛行場の移設問題で政府と対立する玉城デニー県政下で迎えた、新振計の初年度となる2022年度沖縄関係予算の当初案は2684億円となった。前年度から326億円の大幅減となった予算編成に、政治的意図を感じ取る県民は少なくない。政府と県政との距離感に引きずられる沖縄振興でいいのか。

 藤田氏は、その是非について明言を避けつつ、こう付け加えた。

 「私たちの時代よりも政治の力が強くなっている。そういう中で、行政の動きだけで乗り切っていけるのかどうか」

 次代の沖振計の根拠法となる改正沖振法は、8日に閣議決定され、4月から施行される見込みだ。

 (安里洋輔)


<用語>山中貞則

 やまなか・さだのり、1921~2004年。鹿児島県出身の政治家。1970年に佐藤内閣で総理府総務長官として初入閣。沖縄振興開発特別措置法、復帰特別措置法の制定など沖縄復興の土台を築き、1ドル=305円のレートを360円換算にして差額分を政府に補償させた。72年の日本復帰と同時に初代沖縄開発庁長官に就任し、沖縄の振興開発に影響力を持った。衆院当選17回。環境庁初代長官や防衛庁長官、通産相を歴任したほか、自民党税制調査会の最高顧問として税制改正を主導する党税調の実権を握った。

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<用語>公告縦覧代行

 米軍用地の賃貸借契約に拒否した地主を対象にした強制使用手続きの一環で、市町村長が土地・物件調書への署名、公告・縦覧を行う。市町村長が実施しない場合、都道府県知事が代行する。1992年の使用期限切れに伴う強制使用手続きの過程で、当時の大田昌秀知事が公告・縦覧代行を拒否し、政治問題になった。政府が沖縄振興や基地整理縮小に取り組む姿勢を示したことから、大田氏が妥協し、代行に応じた。95年に発生した少女乱暴事件を機に大田知事は再び代理署名を拒否。国が提訴して裁判闘争となり、最高裁で県が敗訴した。

 


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