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「夫にじゃなくて、沖縄に恋をしたのね」。おきなわ女性財団理事長の大城貴代子(82)は笑う。
夫は沖縄祖国復帰協議会(復帰協)の副会長も務めた故栄徳。生まれ育った山口県での青年団活動を通して1963年に出会った。沖縄の現状を知り、復帰を求めて運動に心血を注ぐ青年たちの熱に打たれた。栄徳と文通を重ねて「自分も加わりたい」と翌年、海を渡った。新聞には2人の結婚を「祖国復帰の架け橋」とことほぐ文字が躍った。
沖縄の女性たちは戦後、各地で団体を作った。女性や子どもの人権を踏みにじる米軍の事件・事故、暮らしを脅かす高い物価、保育所が足りず子どもを預けられないといった問題に向き合うためだ。解決を願う先に復帰があった。
女性たちにとっての復帰運動は、これらへの対応が多くを占めた。沖縄婦人団体連絡協議会(婦団協、現女団協)は1971年、上京し「県民が廃虚の中から立ち上がり(中略)築き上げてきた経済基盤と生活の秩序が破壊されようとしている」と訴えている。
琉球政府に就職した貴代子は、労働組合や女性団体の中心で運動に参加した。復帰後の混乱が一段落した70年代後半からは男女雇用機会均等法、トートーメー継承問題、80年代後半からは女性の管理職登用や政治参画に取り組んだ。闘いのテーマは女性の生き方を映す社会の問題だった。
仕事、運動、子育ての「3足のわらじ」で疾走した貴代子は「自分が直面した問題をみんなも一緒にやりましょうと進めてきただけ」と振り返る。「権利は天から降ってこない。勝ち取る運動があったことを知ってほしい」。そう願う。
(文中敬称略)
(黒田華)
沖縄が日本に復帰して今年で半世紀。世替わりを沖縄とともに生きた著名人に迫る企画の18回目は大城貴代子さん。女性たちが自分らしく活躍できる社会を求めた足跡をたどった。