命救った「いじてぃめんそーれ」 探し続けた恩人の親族と初対面


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入江昌治さんの位牌に手を合わせる渡口彦信さん(右から2人目)=8日、伊江村

 【伊江】沖縄戦で糸満市摩文仁海岸の岩場に身を隠していた渡口彦信さん(95)=読谷村=が8日、海岸から投降を呼び掛け命を救ってくれた故・入江(旧姓・西江)昌治さん=伊江島出身=の親族と対面を果たした。米兵の投降勧告に疑心を抱く中、「いじてぃめんそーれ(出てきてください)」という入江さんのウチナーグチに心が動かされたという渡口さん。「あの呼び掛けがなければ今日はない」と振り返り、位牌(いはい)に深く頭を下げた。

米軍への投降を呼びかける入江昌治さんと見られる民間人=1945年6月22日(War_of_innocents_より)

 県立農林学校で学んでいた渡口さんは球部隊(第32軍)の高射砲隊の兵士として戦場に動員された。1945年6月20日の部隊解散後、本土出身の日本兵2人と摩文仁海岸の岩場に身を潜めていた。海上から聞こえてくる米兵の投降勧告は聞き流していたが、優しい口調のウチナーグチにはっとした。日本兵に「あなたは出てみてごらん」と勧められるように身を乗り出したところ、米兵に見つかり捕虜となった。

 渡口さんはハワイの「砂島収容所」に送られ、ウチナーグチで呼び掛けた人物が伊江島出身だと聞かされた。2017年に現地で初めて開かれたハワイ県人捕虜慰霊祭で、友人の古堅政尚さんが資料の中から「伊江島出身者が投降を呼び掛けた」との一文を見つけ、そこから恩人探しが始まった。

 古堅さんや、同じく渡口さんの友人で伊江島出身の長嶺福信さんが、米側の資料や沖縄戦の書籍などから調べ、5年の歳月をかけて入江さんだと分かった。偶然にも渡口さんと同じ県立農林学校の出身だった。

 位牌を前に渡口さんは「77年がたってしまったが、心の中に秘めていた思いをかなえることができた」と感慨深げに語った。

 入江さんの長女の喜納明美さん(73)=本部町=は「戦争のことをあまり語らなかった父が、大勢の命を助けていたことを皆さんのおかげで知ることができた。こちらこそお礼を言いたい」と話し、笑顔を浮かべた。(新垣若菜)