沖縄戦で使われた壕やガマの閉鎖や劣化が進む中、壕の中に入って戦争を追体験する平和学習ができなくなることが懸念されている。修学旅行生などを案内してきたガイド団体は、中に入らずに沖縄戦を伝える新しい取り組みも始めた。
八重瀬町富盛の八重瀬岳。沖縄戦で第24師団第一野戦病院が置かれ、本部壕と手術壕に県立第二高等女学校の女子学徒らが動員された。町は八重瀬岳を公園として整備し、手術壕までの階段も設置した。しかし、壕の中は崩壊の懸念があるとして2008年ごろに立ち入り禁止にした。
壕に入ることができないため、八重瀬岳は修学旅行ではあまり活用されていない。沖縄の戦跡や基地を案内する「沖縄平和ネットワーク」の事務局長も務める琉球大の北上田源准教授(40)は「旅行社は、壕での暗闇体験を目玉とするコースを組むことが多く、壕に入ること自体が目的となってきた」と話す。暗闇体験ができない場所は、訪問先として選ばれない傾向があるという。
「大切なのはガマに入ることではない」―。そう北上田さんに印象付ける契機となったのが2017年、県内ガイドらを対象にした八重瀬岳での講習会だった。元白梅学徒の中山きくさん(93)は手術壕に配置され、手当を受けられずに亡くなっていく兵士や、麻酔なしに行われる手足の切断手術など悲惨な状況を目にしたと語った。その上で「やっぱりガマは暗闇体験ができないとダメですか。ここを平和学習の場に使っていただきたい」と訴えた。
手術壕の前の道にも、入りきらない負傷兵らが横たわっていた。その中には沖縄出身の男子学徒もいた。元白梅学徒らの証言から当時の状況が分かっている。北上田さんは「壕の前の道も含めて戦争の現場だ。大切なのは暗闇体験ではなく、現場で沖縄戦の実相を伝えていくことだ」と強調する。県外の学校から相談があれば八重瀬岳を提案しているという。
戦争を体験していない世代が沖縄戦の主な伝え手となる中、北上田さんは「大切なのは、それぞれの現場を見つめ直し、なぜそうした状況が生じたのか検証し、伝えていく取り組みだ」と話す。各学校が地域の戦跡などを通じ、沖縄戦を学ぶ取り組みも促す。
平和学習のガイド団体「沖縄県観光ボランティアガイド友の会」も、壕やガマに入らない「歩いてまわる平和学習」を昨年から始めた。現在はひめゆりコースを実施しており、今後は白梅コースも予定する。閉鎖が相次いだこともあるが、以前から劣化を懸念し、計画していたという。
ガマにおける沖縄戦の記憶は住民の戦争体験の象徴として語り継がれてきた。劣化が進み、戦争体験者が少なくなる中、現場を大切にしながら語り継ぐ工夫が一層問われている。
(中村万里子)
(おわり)