復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉2月24日「沖縄海洋博、本部半島に本決まり」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年2月24日の琉球新報1面トップは、沖縄海洋博の開催場所が「本部半島に本決まり/専用道路の建設へ」との見出しで、名乗りを上げていた読谷地区と糸満地区を抑えてやんばるに決まったと報じている。そで見出しでは「山中長官、慶良間に海洋牧場も」と、慶良間諸島での分会場構想もあったと伝えている。

 復帰に備えて連日問題となっている、ドル―円通貨切り替えに伴う賃金の換算レート問題に関して、本土政府と折衝をしてきた琉球政府の宮里松正副主席の会見の様子を伝える記事は「一ドル対三六〇円換算/読み替えは可能/中小企業の体質改善を」との見出しで、公務員や公社職員、軍雇用員には賃金換算が保証される見通しが示されている。民間企業にも公務員と同様の換算を適用するための条件づくりも示している。これに関連して、別の記事では、全軍労中央闘争委員会の方針として「七日から十日間スト」を決めたことを伝えている。

 トップ記事にも劣らない見出しの大きさで掲載しているのは、連日報道のある米中首脳会談。「米中改善へ強い決意/ミゾ埋めに全力」「ニクソン・周会談/重要段階へ」との見出しで、北京からの共同電で首脳会談の様子を伝えている。

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。