復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉2月20日「赤軍派、警官と銃撃戦」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年2月20日の琉球新報1面トップは、「ニクソンあす北京入り/実るか〝平和への旅〟」との見出しで、これから始まる米中首脳会談の始まりを伝えている。

 2番手の左肩には、連合赤軍による長野県・軽井沢で人質を取って立てこもっているあさま山荘事件の続報で「赤軍派、警官と銃撃戦/軽井沢 女を人質に抵抗」との見出しで伝えている。

 復帰に伴う自衛隊の配備に関連して「2百人は沖縄出身/中村陸幕長 配備を楽観視」との見出しで、沖縄の現地視察を終えた陸自の中村幕僚長の会見の様子を掲載している。1700人が予定される沖縄配備の陸自隊員のうち約200人が沖縄出身者になるとの見通しに加え、沖縄に強い自衛隊アレルギーがあるとの問いに中村陸幕長は「陣痛の苦しみはあるので多少のトラブルはあるかもしれないが、それほど心配はしていない。自衛隊は今後ずっと世話になるのでだんだんと理解されるものと思う。ムリに宣伝をすることはよくない」と述べたことが紹介されている。

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。