復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉2月25日「尖閣は責任もって警備/米高等弁務官」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年2月25日の琉球新報1面トップは、沖縄を統治する米民政府のトップであるランパート高等弁務官が、復帰に伴う諸問題について語った内容を伝えている。屋良朝苗主席の要請に答えたランパート高等弁務官の応対は「尖閣は責任をもって警備/通貨切り替え困難/解雇撤回は出来ぬ」との見出しで紹介している。 

 復帰に伴う記念式典について琉球政府が関連行事を決めたとの記事を「『県民自治』基調に」との見出しで紹介している。

 本部半島での開催が本決まりとなった沖縄海洋博に関連しては、来沖した沖縄国際海洋博覧会協会の大浜信泉会長が、道路、港湾整備に努める意向を示したことを伝えている。

 在沖米軍基地の動向を巡っては「KC-130岩国へ/政府〝玉突き〟移駐認める」との見出しで、普天間基地所属のKC-130空中給油機を米軍岩国基地に移駐させる方針を日本政府が決めたと掲載している。

 

 

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。