1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
1972年3月1日の琉球新報1面トップは、「台湾領有権で統一見解約束/日中で早くも苦境/政府側、答弁食い違う」との見出しで、台湾が中華人民共和国の一部であると米中共同声明で盛り込まれたことに関連して、日本政府が国会で前日の答弁から後退したことについて紛糾したことを報じている。
2番手記事の左肩には「本土と沖縄に核兵器運んだ/来日の元米兵が明かす」との見出しで、1960-63年の間に米空軍曹長として20~30回、日本本土と沖縄の米軍基地に核兵器を運び込んだとの、反戦ベトナム帰還兵の証言を紹介している。
米国の台湾政策に関連して「米の核搭載機/台湾から撤去/NYタイムズ報道/米大統領の訪中前に」との見出しで、台湾の米軍基地から米軍の核弾頭搭載の戦闘爆撃機がニクソン米大統領の訪中前に台湾から撤去されていたとの米紙報道を紹介している。
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1972年はうるう年で2月が29日まであった。2月29日の琉球新報1面トップは、「泰子さん無事救出、犯人全員逮捕/最後まで徹底抗戦/警官二人死亡、負傷十人/あさま山荘」との見出しで、連合赤軍が人質をとって立てこもったあさま山荘事件の終結を伝えている。
米中首脳会談の共同声明で「台湾は中国の一部」などの原則について問われた佐藤栄作首相が「台湾は中華人民共和国のものと考えるのは当然である」と答弁し、米中で取り交わされた「平和五原則」についても「受け入れる姿勢である」と述べたたことを伝えている。
左肩の位置には、沖縄の地方政党である社会大衆党について、復帰後は社会党への結集を呼びかけていた件で「社大党、復帰後も存続」との見出しで、拡大中央委員会で正式に決定したことも掲載している。
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琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。