復帰直前の沖縄〈50年前きょうの1面〉3月2日「嘉手納で核事故」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 

 1972年3月2日の琉球新報1面トップは、「ひと波乱も 台湾領有権答弁/首相〝十分理解〟と修正/野党〝食害〟と追及の構え」との見出しで、米中共同声明で米国が台湾を中華人民共和国の一部だと認めたことに関連した佐藤栄作首相の発言を大きく取り上げている。2月28日の衆院予算委員会で佐藤首相が「台湾は中華人民共和国の領土」と述べていたのを、1日の参院本会議では「台湾が中華人民共和国の領土の一部と主張する中間人民共和国政府の立場は十分理解できる」と答弁を後退させたことを取り上げたものだった。

 隣接した大きな記事は「核兵器運んだのは事実/〝内外無視の米政策〟/ハバド氏 ビキニデー集会で報告」との見出しで、核兵器を日本と沖縄へ運搬したことを明かした元米空軍曹長の発言をあらためて報じている。関連では「核兵器持ち込みを否定/駐日米大使館筋」「在沖米軍はノーコメント」「政府、真偽の調査を米に要請」との見出しで、それぞれ米政府、米軍、日本政府の見解を掲載している。

 さらにそのそばには「嘉手納で核事故/ハバド氏、記者会見で語る/六五年十月下旬に」との見出しで、ハバド氏が「嘉手納基地で核積載航空機の事故にぶつかったのが六五年十月下旬か十一月初旬だったことは間違いない」と語ったことを紹介している。

 

 

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 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。