【識者談話】安倍氏「核共有議論」何が問題か 在沖基地の無意味さも露呈 (沖縄対外問題研究会代表・我部政明氏)


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我部政明氏(沖縄対外問題研究会代表)

 ロシアのウクライナ侵攻と関連して、自民党内で米国の核兵器を日本に持ち込んで共同運用する「核共有」政策の議論が出ている。安倍晋三元首相は「さまざまな選択肢を視野に入れて議論すべき」と主張する。だが、日本の核武装の能力と意思の点で、全ての選択肢がテーブルにあるわけではない。

 そのなかでも核共有はいくつか問題を生む。まず、北東アジアの核拡散に拍車を掛ける点だ。国際社会が求める北朝鮮非核化の取り組みにも逆行し、韓国での核保有にもつながる可能性がある。新たな核保有の禁止と、保有国の核軍縮を規定する核拡散防止条約(NPT)体制からの離脱も意味する。自国内の偏狭な視点に基づく日本のNPT離脱が、国際社会からどう見られるか考えるべきだ。

 日米関係に与える影響も大きい。米国は核の拡大抑止と通常兵力で、日本防衛へ関与しているという認識だ。日本での核武装論は、米国にとって「米国の抑止力が不十分」という主張に捉えられる。核共有の主張は「日本独自の核保有」への含みもあり、米国に警戒感を抱かせる可能性もある。

 安倍氏は持つべき能力を「相手国の軍事的中枢を狙う反撃力」と主張する。相手国からすれば、日本国内への核兵器配備は、攻撃対象になりうる「軍事的中枢」を増やす結果となる。核攻撃能力があれば、それを狙うのは当然だ。

 日米での核共有などは自民党内では目新しい議論ではない。「核兵器さえ持てば一丁前の国」などと浅い認識があるのだろう。ウクライナへの侵攻に乗じ、都合の良いタイミングでアイデアを拡散しているだけに見える。

 在沖米軍基地は通常兵力による抑止力を構成している、というのが日米両政府の説明だ。核共有の必要性を訴えることは、沖縄が負担を負うほどの米軍基地の抑止力が不要だと自ら言っているようなものだ。役立たないのであれば削減すべきだと言える。日米両政府の抑止力の説明が、幼稚なものではないかと疑問を抱かざるを得ない。
 (国際政治学)