1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
1972年3月3日の琉球新報1面トップは、「復帰前の通貨交換断念か」との見出しで、日本復帰に伴うドル―円通貨切り替えを復帰の前に実施することは断念せざるを得ない情勢だと伝えている。そで見出しでは「政府、屋良主席に説明へ/米側の難色も一員に」と掲げている。通貨切り替えをめぐっては、沖縄側では1ドル=360円レートでの通貨交換を求めており、沖縄の中でも労組がストを打って360円レートでの交換を求めてきており、当時大きな社会問題となっている。
隣りの記事では「復帰後『核』あれば総辞職/首相、核抜きを改めて強調」と大きな見出しで、衆院予算委員会で佐藤栄作首相が核抜き返還を重ねて強調している様子を紹介している。
関連した記事として「米国務長官書簡で〝核抜き〟は保証/外務省筋が説明」との見出しで、外務省の見解を東京電として伝えている。
数日紙面をにぎわせている台湾の帰属についての日本政府見解で「きょう統一見解提出/新味なければ紛糾は必至」と国会の行方を伝えている。
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琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。