1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
1972年3月6日の琉球新報1面トップは、「預貯金 差損補償の具体案決まる/口座に振り込む/借り入れ金差し引く」との見出しで、1971年のニクソン・ショックを受けて円が1ドル=360円から308円に切り下げられたことを受けて、沖縄のドルから円への切り替えに伴う県民の預貯金対策について日本政府方針を掲載している。
「〝台湾〟で主流も分裂/傷口広がる佐藤内閣」の見出しでは、台湾の帰属をめぐる佐藤栄作首相の答弁の修正に端を発した国会の混乱の広がりを伝えている。記事中では「依然首相退陣は今国会直後との公算が大きいが、首相の指導力の急速な低下、党内情勢の急変のため、自民党内には、予算審議の最中にも、何が起きるかわからないという不安感が強まってきたようだ」と見通しを示している。
県内政治に関連しては,社会党県本部の臨時大会で「六月選挙への態勢固め」との闘争方針を紹介する記事も掲載している。
2番手記事の左肩では、1975年の沖縄国際海洋博開催に向けた日本政府内の出展計画案など準備状況の動向を紹介している。
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琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。