福島県南相馬市から避難してきた女性(84)=那覇市=は11日、原発事故の爪痕が深く残る南相馬を写した写真集を眺めていた。「こんなふうに草ぼうぼうになっていた。除染土の黒い袋が至る所にあった」。震災後、何度か一時帰宅した故郷は、写真のように変わり果てた姿だった。
自宅は原発から約15キロにあった。震災翌日から避難所を転々とし、11年4月に夫と沖縄へ避難。夫はすぐに心筋梗塞で倒れ、半身不随になり3年半後に亡くなった。今は市営住宅に1人暮らし。友人もでき「沖縄の人ってあったかいね」と語る。
それでも戻れない故郷への思いは募る。自宅周辺の帰還困難区域の指定は解除されたが、帰るめどは立たない。亡き夫に手を合わせ「いつ帰れるのかな、帰りたい」と話しかける日々だ。「ただ寂しい。とても苦しい」。涙をにじませ、つぶやいた。
(中村万里子、写真も)