「国は国民守らなかった」茨城から子ども5人と避難の女性 「原発事故は起きる前提で対策を」


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東日本大震災から11年、福島県双葉町の家屋の解体現場で、地震発生時刻に合わせて黙とうする作業員たち=11日午後2時45分(共同)

 原発事故の後、茨城県から子ども5人を連れて避難して来た女性(47)=名護市=は11日、長谷寺での法要に参列し、失われた震災前の生活や当時の混乱を思い出し、涙を浮かべた。「国は国民を守ってくれると思っていたが、そうではなかった」

 子どもへの事故の影響を心配し、女性は2012年に沖縄へ避難した。震災前は夫と夫の両親と暮らしていたが、「残る」と言う夫と離婚し避難を決めた。事故は「人災」と強調し「もしも津波と地震だけだったら、避難しなかったと思う。子どもにほんの少しでも影響を与えたくなかった」と振り返る。

 沖縄へ来てからは仕事を転々とし、子どもを育てた。各地の原発を再稼働させる国の方針や事故の対策に関し「国は国民の命と健康を大事に思ってほしい。事故が起こらない前提ではなく、起きる前提で対策してほしい」と訴えた。

(中村万里子、写真も)