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米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日から77年となった1日。那覇市泊の私立昭和高等女学校跡の碑の前で、戦争の記憶を次代につなぐ集いが開かれた。同校を創設した山梨県出身の故・八巻太一さんは読谷村立読谷小学校の校歌を作詞した。この日はその縁で同小児童5人が訪れて校歌を披露し、昭和高女元生徒の上原はつ子さん(93)=那覇市=の戦争体験を聞き、平和の思いを受け継いだ。
八巻さんは11年に33歳で沖縄に渡り、読谷山尋常高等小学校の校長に赴任した。同小の校歌は13年に制定され、八巻さんは作詞を手掛けた。校歌は県内の小学校で最古とされる。八巻さんは20年からは県立第一高等女学校・女子師範学校の教諭になった。退職後の30年、私財を投じて、旧崇元寺町に沖縄昭和女学校(後に高等女学校)を設立した。
上原さんは昭和高等女学校3年の頃、沖縄戦を体験した。学校では看護講習が行われ、看護要員として戦地に動員された同級生もいた。昭和高女では学徒動員された9人を含む生徒57人、職員3人の計60人が戦争の犠牲になった。校舎は地上戦で焼失し、廃校となった。失われた青春を今に伝えようと、上原さんは戦争体験を語り継いでおり、読谷小でも2020年に講話した。
今回の集いは双方につながりのある前参院議員の糸数慶子さんが企画した。修学旅行などの平和学習を担う県内のバスガイド有志も訪れ、約50人が集まった。
読谷小の校歌を歌った同小6年のジャクソン・メイさん(11)、知花ちいさん(11)、佐久間龍樹さん(11)、宮﨑琉貴さん(11)、喜友名嵐さん(11)は「沖縄と山梨の人がつながっていたと知れた。他の人とも校歌を通じて関わりたい」などと思いを込めた。上原さんは「死んでも平和運動をしたい。昭和高女のことを知ってほしい」と切に願った。
(仲村良太)