日本復帰の願い、基地のない平和な沖縄と「真逆な状況」 市民団体が与儀公園で集会


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与儀公園での集会後、ひめゆり通りをデモ行進する参加者ら=4日、那覇市内

 沖縄の日本復帰から50周年を迎えるのを前に「ガッティンナラン! 日本『復帰』50年! 日米のやりたい放題を許さない!」と題した集会(命どぅ宝!琉球の自己決定権の会主催)が3日、那覇市の与儀公園で催された。登壇者らは復帰後も続く米軍基地負担や自衛隊基地増強の動きに、基地のない平和な沖縄を願った復帰運動とは「真逆の状況に置かれている」(主催団体の与那嶺義雄共同代表)などと声を上げ、沖縄の前途は沖縄で決める自己決定権の確立を訴えた。

 与儀公園は復帰当日に記念式典が行われた那覇市民会館に隣接し、当時復帰に抗議する「5・15抗議県民総決起大会」が行われるなど、復帰運動の拠点となった場所だ。時折雨が降る中、来場者らは傘を差して登壇者8人の主張に耳を傾けた。

 与那嶺氏は日米安全保障体制維持のための基地負担と犠牲が沖縄に集中しているにもかかわらず、「その事実を県民が自覚できていない」と指摘。復帰運動自体が日本への同化を基調としていたために「矛盾が見えづらくなっている」と問題視した。

 横田チヨ子さん(93)は、太平洋戦争当時に暮らしたサイパンでは、安全な水を確保できず多くの子どもが亡くなったと振り返った。県内で次々明るみになる有機フッ素化合物(PFAS)による水質汚染に触れ「復帰50年たっても飲み水さえ危ない状況が続いている」と批判した。参加者らはその後、ひめゆり通りをデモ行進した。
 (知念征尚)