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島民に寄り添い10年…久米島病院の看護部長が退職 異例の転身に込めた離島医療への思い


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10年にわたって久米島の医療に力を注いだ津波勝代さん=3月7日、浦添市

 【久米島】久米島の医療に貢献した一人の女性が今春、島を離れた。公立久米島病院の副病院長兼看護部長の津波勝代さん(71)。県立中部病院の看護部長を務めて定年。そこから一転、離島医療へ身を投じ、異例の転身と言われた。「島の人の思いに沿った」看護を心掛け、10年にわたり島内を駆け回った。

 津波さんは宮古島出身。6歳上で看護師をしていた姉の姿に憧れ、同じ道を志した。県立名護病院(現北部病院)を皮切りに、地元の宮古病院などさまざま医療機関を渡り歩いた。2012年3月、中部病院を退職。民間での厚遇ポストも見込まれる中、「分かっているようで分かっていない」と離島医療への思いが去来し、職員を募集していた久米島病院への赴任を決めた。

 久米島は本島と比べると医療設備や看護体制が十分とは言えなかった。津波さんは現場での患者対応だけでなく、組織構築や行政への要請など、「何でも屋」として汗をかいた。「ないものは作ればいい」が信条。久米島高から看護師を育成するための病院独自の給付型奨学金の導入や訪問看護の開始など、次々に島の医療界に新風を吹き込んだ。

働き続けられる職場環境などについて看護師らと話し合う津波さん(右)=2016年11月16日(公立久米島病院提供)

 共に7年間働いた太田紀子看護師長(51)は「厳しくもあり優しい。自分の意志を貫く人」と評する。「病院にとっても地域にとっても大黒柱のような人。地域の人も寂しいんじゃないかな」と退職を惜しむ。

 10年の節目を機に、後進に託す決意をした津波さん。島での日々を「濃密だった」と振り返った。後輩たちにはこれからも「遠慮なく相談、連絡してきてほしい」と語り掛ける。島を離れても、島の医療を見守り続ける。
 (照屋大哲)