【識者談話】県と住民、協力不可欠 辺野古訴訟 (福井秀夫教授・行政法)


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 本来、大規模な公共事業を実施する際は、事業費用や環境への悪影響といった失われる利益を、事業がもたらす利益が上回っているか、厳格に調べる手続きと司法審査があるべきだ。対象は限定されるが、自治体には住民訴訟があり、違法・不当な公金支出は厳格に統制され、首長らは個人賠償責任を負わされ得る。ところが、国民が国を相手とする「国民訴訟」制度はない。

 公有水面埋立法は、埋め立てを承認するための要件に、国土利用上適正かつ合理的であること、埋め立てが環境保全や災害防止に十分配慮されることなどを明記し、埋め立ての側面に関する限り、事業が発揮する便益と、環境や災害防止への負の影響などを比較しつつ厳格に審査することを求めている。やはり限定的だが、事業に伴う埋め立ての適否に関し、承認の手続きと、司法審査が機能する限り、環境、災害への影響、事業の得失を実質的に判定可能である。

 辺野古の問題を巡る県と国の訴訟では、実質審理に入らず、県の訴えが門前払いされ続け、県が当事者として争うルートが閉ざされつつある。限られた原告にせよ、権利利益の侵害という争う資格がある市民による訴訟は、県民や市民の意思を踏まえた一種の代表訴訟でもあり、司法審査のメインルートと位置付けられる。

 埋め立て承認の要件審査に関して県が同じ解釈なら、市民の訴訟に関わるのは自然なことだ。今後、辺野古の埋め立ての実質的な司法判断を引き出すには、県と住民の協力は欠かせない。