拒絶反応で宙に浮いた入学 隊員の子、受け入れへ動く教師も<駐屯50年「自衛隊」と沖縄>③


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復帰時、入学が宙に浮いた自衛隊の子を受け入れるべきだと主張した経験を語る新崎侑子さん=22日、那覇市内

 自衛隊の沖縄配備当時、県内では隊員の受け入れを巡る混乱が起きていた。成人式への参加阻止、住民登録拒否、貸家拒否…。沖縄戦の記憶が残る中、戦時中に住民を苦しめた「日本軍」と自衛隊を同一視する向きは強く、隊員に対する拒絶反応となって現れた。

 復帰運動を主導していた沖教組(県教職員組合)は自衛隊配備に反対する立場を取っていた。隊員の住民登録拒否であおりを受けたのは隊員の子どもら。住民票が取れず、入学が宙に浮いた。

 当時、小禄小学校に勤めていた新崎侑子さん(90)。校区内には入学を控える隊員の子どもがいた。組合は中部を中心に反自衛隊を強く打ち出していたが、那覇支部婦人部長だった新崎さんは「すべての子は教育を受ける権利がある」と主張した。「自衛隊に賛成なのか」と組合内で追及されたが「そうではない。分けて考えるべきだ」と反論した。

 隊員の子の入学が認められ、新崎さんは母親に「教育を受ける権利は同じ」と語り掛けた。拒否反応を覚悟していたのか、母親は「優しい言葉を掛けられるなんて夢にも思わなかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 復帰前に求めたのは米軍の圧政から逃れ、日本国憲法の下に帰ることだった。新崎さんは復帰と同日に発行されたポケットサイズの「憲法手帳」を購入し、同僚に配った。「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」と定めた教育基本法も掲載されていた。

「自衛隊も憲法9条に守られている」と話す「小禄九条の会」代表世話人の平良亀之介さん=19日、那覇市鏡原町

 新崎さんは子どもの教育を受ける権利を守った。ただ、復帰後も米軍基地が残り、自衛隊の配備強化が進む現状には疑問を抱く。「教育の現場には、複雑な社会情勢が現れる。だからこそ考え続けないと」。復帰時に手に入れた憲法手帳を今も肌身離さず持ち歩き、複雑に入り組む沖縄と自衛隊の関係に思いを巡らせる。

 「小禄九条の会」はコロナ禍で中断していた高校の前でのスタンディングを3年ぶりに始めた。19日、小禄高校前では戦争に反対する手作りのプラカードを持って呼び掛けた。生徒が足を止めて話し込む姿もあった。会は集団的自衛権の行使容認に反対し、自衛隊の役割を改めて若い世代に考えてほしいと訴えている。

 代表世話人の平良亀之介さん(85)には忘れられない出来事がある。数年前、ある高校前で署名活動をしていた際、じっと遠くから見ていた女子高生がいた。「署名をしていいですか」。生徒は青ざめ、深刻な様子で「父が自衛隊です」と打ち明けたという。

 平良さんは「目が覚めた。自衛隊も憲法9条の下で守られている。それが戦争に参加することになれば、むしろ家族にとって深刻な問題なんだ、と気づいた」と話す。憲法9条を背景に他国で殺害や破壊するのではなく、人命救助や社会再建に貢献してきた自衛隊。平良さんは、その役割の変化による隊員や家族への影響もおもんぱかる。 (稲福政俊、中村万里子)

自衛隊員の住民登録が拒否され、子どもの入学が宙に浮く問題を報じる琉球新報紙面(1973年4月8日付)