「沖縄を返せ」力込め 27度線響く歌声 「屈辱の日」に友好の誓い 国頭・与論海上集会


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
海上集会で互いに手を振り合う国頭村側からの船(奥)と与論町側からの船(手前)=28日午前11時53分(小川昌宏撮影)

 「沖縄を返せ」。米統治下にあった沖縄と、日本を分けた北緯27度線上に平和を願う熱い歌声が再び響いた。沖縄返還を求めて1963年から7年間にわたって行われた海上集会やかがり火。「屈辱の日」に当たる4月28日、10年ぶりに再現された。国頭村と鹿児島県与論町からの参加者は、祖国から分断された苦難の歩みと日本復帰の歴史を後世につなげようと、両地の絆を確かめ合った。

 【国頭・与論】沖縄の復帰50年を記念し、国頭村と与論町が協力して再現した海上集会。かつて沖縄と本土側を分断した北緯27度線周辺は雨が上がり、晴れて夏日となった。分断と日本復帰、そして今も米軍基地の過重負担を背負い続ける沖縄の歴史を照らすような日差しの中、両地からの参加者は心を一つにして、平和を願った。

海上集会を終え、国頭村側からの船に手を振る与論町からの船に乗った人たち=28日午前11時57分、北緯27度線付近(小川昌宏撮影)

 海上集会には、報道関係者を含め約140人が結集し、午前11時半に海上集会が始まった。「二度と悲惨な歴史を繰り返さず、全世界の恒久平和の実現に向けて努力する」とする友好平和宣言書を読み上げ「沖縄を返せ」を合唱すると、互いの船に手を振り合った。

 子どもの頃、沖縄返還を願うかがり火を古里の与論で見たという、沖縄与論会の山本和儀会長(68)=浦添市=は「与論人にとって沖縄は第二の故郷のような存在だ。国境を引かれ、沖縄の出身者が苦労した歴史を思い起こした」と語った。ロシアによるウクライナ侵攻に触れ「平和共存する道を願う」と力を込めた。

 与論側の記念事業の推進委員長を務める田畑克夫さん(63)は「海上での集会は思ったより大変で、先人の偉大さが分かった。復帰運動の努力の上に私たちはいるということを改めて感じた。やんばるの島が大きく見えた」と述べた。

 集会を終え国頭村の宮城明正副村長は「戦争など悲惨な歴史が実際にここであった。平和を守らないといけないというメッセージを国頭と与論から発信できた」と語った。

 同日、祖国復帰50周年記念式典が辺戸岬で開催され、復帰の72年生まれを代表して大城角栄さんが平和宣言をした。 (岩切美穂、増田健太)