「基地抱える苦しみは変わらない」 NHK記者として屋良主席を取材、前国頭村長も海上集会に参加


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復帰50周年事業が「若い人が基地問題を考えるきっかけになればいい」と語る宮城久和さん=28日、国頭村の宜名真漁港

 【国頭】前国頭村長の宮城久和さん(78)=同村=は、復帰40周年事業の主催者を務めた10年前に続き、再び海上集会に参加した。「この10年、そして復帰から50年、沖縄は経済的にはだいぶ良くなったが、基地を抱える苦しみは変わらない」と指摘する。

 琉大卒業後の1969年、NHK沖縄放送局の前身・沖縄放送協会(OHK)に入り、屋良朝苗主席(当時)を間近で取材した。労組の一員として復帰運動にも参加。「核も基地もない沖縄」を願い、県内各地で日の丸を振った。28日は「50年で何が変わったか、変わらなかったか」をあらためて考えようと船に乗り込んだ。北緯27度線にたどり着き、屋良主席が日本政府に申し入れた建議書や、普天間飛行場移設問題に思いをはせた。

 容易に解決する問題ではないが「普天間を早く返還してほしい。移設先は県内ではなく国外が望ましい」と思う。復帰50周年事業を「若い人が沖縄の歩んだ道を学び、基地問題を考えるきっかけになればいい」と捉え、次世代に希望をつないだ。

(岩切美穂)