沖縄を切り離した「屈辱の日」の辺野古是正指示…「なぜこの日なのか」「歴史認識が足りない」県民に憤り


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 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、斉藤鉄夫国土交通相が県に設計変更申請を認めるよう是正を指示したのは、沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」の28日だった。指定した期限は、日本復帰50年の節目となる5月15日の翌16日。「なぜこの日なのか」「歴史認識が足りない」。県民は憤りをあらわにした。

 沖縄は、1952年のサンフランシスコ平和条約発効で米統治下に置かれた。辺野古移設に反対する団体「オール沖縄会議」の高里鈴代共同代表(82)=那覇市=は「この日の歴史的な意味を認識しているのか。あぜんとする」と言葉を失った。「有無を言わさず切り捨てる。二重にも理不尽な扱いで、許せない」

 辺野古で抗議活動を続ける山城博治さん(69)=沖縄市=は「日本は70年前に沖縄を切り捨て、独立した。あえてこの日を選んで命令したのではないか」と非難。「国は冷酷で非情だ。私たちを犠牲にし、もう我慢は限界だ」と声を震わせた。

 国頭村で開かれた復帰50年の記念式典に参加した女性(74)=うるま市=は「県には承認してもらいたくない。国は県民の声を聞いてほしい」と訴えた。

 村内の平和行進に加わった男性(81)=名護市=も「国は沖縄をばかにしている。寄り添うと言いながら、沖縄の民意と逆方向に進んでいる」と怒りをにじませた。

(共同通信)